アイヌのことを何も知らなかった私が考えた「共生」

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突然ですが、みなさんは「共生する」ってどういうことだと思いますか?

 

簡単に言うと「共に生きていく」ということかなと思います。

 

では、その「共に生きていく」って一体どういう状態のことなのでしょうか。

 

今回は私が「共生」について考えさせられた経験をお話しします。

 

私は大学の講義で、アイヌ文化の普及活動をされている方のお話を聞く機会がありました。

 

アイヌとは北海道の先住民族です。

 

アイヌ語という独自の言語を話し、狩猟採集生活を営むという特徴があるなど、日本列島の民族とは異なる独自の文化を持ちます。(アイヌ文化について – ウポポイ(民族共生象徴空間) NATIONAL AINU MUSEUM and PARKより。)

 

明治時代になると政府による北海道の開拓が進められました。

 

「北海道旧土人保護法」という政策が出され、それまでの狩猟採取生活から、農業が推し進められるなど、和人との同化を迫られたことは有名です。

 

現在、北海道に暮らすアイヌの人口は1万〜2万人ほどですが、これは任意の調査であるため、実際はさらに多いと想定されます。

 

ここからは講義で学んだアイヌについて紹介していきます。

 

アイヌの人々は「存在する全てのものに『魂』が宿る」という信仰心を持っています。

 

例えば、机に水をこぼしても「机は喉が渇いていたんだね」とか、足をぶつけるなどしたら「机も痛いんだから」と考え、

 

2018年に発生した北海道胆振東部地震の際には、「土地が痛い」などと自然を心配する様子をみせたそうです。

 

また、アイヌ語は日本語と近い存在であり、「ししゃも」や「トナカイ」、米の品種として知られる「ゆめぴりか」の「ぴりか」はアイヌ語が由来です。

 

このようにアイヌについてお話を聞いていく中で、ふと感じたことがありました。

 

「あれ、私、アイヌのこと全然知らないじゃん」

 

それまで、私の中のアイヌといえば、小学校の歴史の授業で初めて知り、「日本には私たちとは違う文化を持つ民族がいる」「同化政策によって差別されてきた」というものでした。

 

特に差別されてきたという歴史から、私たちとは違う文化を持っていても「差別をしてはいけない」と考えるだけでした。

 

また、そこで私はある違和感を感じました。

 

「『差別をしてはいけない』」と思うわりに、その人たちのことを何も知らないってなんかおかしくない?無責任じゃない?」

 

アイヌのことを何も知らなかった自分に気付き、それでいて差別してはいけないと思う自分に違和感も感じたのです。

 

世の中には様々な差別というものがありますが、その度に私は「差別してはいけない」という考えに留まるだけで、その一歩先に進むことはありませんでした。

 

「アイヌのことを知らなかった」というよりは「知ろうとしていなかった」に近いのかもしれません。

 

差別してはいけないと考える人が増えるだけでも、差別はなくなると思います。

 

しかし、それは本当の共生なのでしょうか。

 

「相手を知ろう」という段階に至らず、「差別してはいけない」のままでは、自分と相手の間に何か壁のようなものを感じてしまいます。

 

相手を知ることや知ろうとする気持ち、歩み寄るという行動がその壁を壊せるのではないか

 

また、その壁を乗り越えた先に何か新しい視点を獲得することができるのではないか。

 

私はそう考えました。

 

このような考えを持ちながらも、「差別してはいけない」と考えること自体、相手のことを特別視しているのではないか、これもまた差別ではないか、と考えますし、今までの考えも私だけの視点で構成されたものです。

 

このような迷いを抱えていますが、相手を知ろうという気持ちを忘れずにいれば、新しい考えに出会えるのかもしれないと思います。

ライタープロフィール
るりまる
大学では多文化と国際協力を勉強中。
最近関心があるのは、韓国の社会とメンタルヘルス。
得意なことや好きなことで人を幸せにしたい。
Twitter@rrmaaaru39

 

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