差別とは何か?
人種差別はなぜ生まれるのだろうか。そもそも差別とはなんだろうか。
みなさんは考えたことがありますか?
正直にいうと、私はありませんでした。
差別とは無関係な生活をしていると思っていたからです。
しかし私は、無意識のうちに人を差別していました。
そう気づいたのは中学生の時。
当時私はテニス部に所属していましたが、膝のけがを繰り返していました。
そんな時、同級生から「四体満足」と言われたのです。
「五体満足」から作られた言葉でしょう。
正直、当時の私にはあまり言葉の意味がわかりませんでした。
しかし、同級生に「私たちとは違う」と、差別されたように感じたことを覚えています。
わたしは加害者かもしれない
この時はじめて、自発的に差別について考えました。
差別されるってこんなに辛いのか。
でももっと酷い差別を受けてる人がたくさん居る。
私は加害者になっていないか?
やっと当事者意識を持てました。
自分を顧みて、私は自分と異なる人を差別してきたと気づいたのです。
街で奇声を発していたり、変な行動をとったりしている人を見ると、
「障がい者だ、近づかないようにしよう」と考えていたし、
黒人の方とすれ違った際には無条件に「怖い」と感じていました。
一人ひとりの顔が見えて
私は、いくつかのボランティア経験があります。
今思うと、すべての動機は「差別をする自分を脱したい」だったのかもしれません。
特に結果が出た。そう感じているのは、特別支援教育ボランティアです。
(「障がい」は人ではなく、社会にあるものと考え、こう表記しております。)
一人ひとりの顔が見えるようになりました。
特別支援教育ボランティアでは、子どもと一対一で、
継続的に関わることができたからです。
この経験から、私は「障がい児」というくくりではなく、
「○○くん」「○○ちゃん」と、一人ひとりを見るようになりました。
一人ひとりをちゃんと見れば、差別なんてできません。
みんな良いところをたくさん持っているからです。
この「良いところ」というのは、障がいを持つ人特有のものではありません。
人間は誰しも長所があります。
私がボランティアで出会った子どもたちも、
年下の子を優先したり、泣いた子を慰めたり、絵が得意だったり、
足が早かったり、素直だったり…たくさんの長所がありました。
真似したい点がたくさんあります。
そのことに気づいたら、
誰も差別なんてできないのではないでしょうか。
今、私が思うこと
ここで、そもそもなぜ差別は否定されるのか考えました。
私は、「差別によって傷ついたり悲しんだりする人がいるから」だと主張します。
もちろん、情報収集した上で深く考え、答えを導くことも絶対に必要です。
しかし、その答えは難しいものが多くはないでしょうか。
私はそうではなくて、より多くの人が理解できる
“差別が否定される理由”を掲げたいです。
多くの人が「良くないことだから差別はしない」と思いながら話し、行動するだけで、
苦しむ人はかなり減るのでは無いでしょうか。
加害者になる前に、“差別”に関して当事者意識と、
相手を知ろうとする姿勢を持ちませんか。
そのことが、誰もが過ごしやすい社会の実現へつながると思うのです。

この記事の監修者
吉田宏輝
COCOCOLOREARTH代表、社会活動家。
COCOCOLOREARTHでは、社会課題解決を軸にした就職・転職活動を支援するインタビューメディアの代表として、100人以上の社会活動家にインタビュー、記事執筆やイベント登壇などを行う。