今回は、ルワンダを中心にアフリカでプログラミングスクールを運営することで雇用の創出を行なっている「株式会社 DIVE INTO CODE」代表の野呂浩良さんにお話を伺いました。

MBAエンジニア講師でありながら、リクルートやワークスアプリケーションズなどへの転職など多様な経験を持つ野呂さんの思いやキャリアなど、社会貢献を仕事にするまでを見ていきます。

2003年~2006年 すみや (小売 販売)
2006年~2009年 リクルート (メディア 法人営業)
2009年~2013年 ワークスアプリケーションズ (ソフトウェア開発 コンサル)
特待生制度「問題解決能力発掘プログラム」突破
2013年~2014年 プロスタンダード (教育 営業・研修講師)
2014年~2015年 フリーランス
時間管理研修、プログラミングセミナー開発・登壇、自力でRubyを学び事業アイデアをカタチにする
2015年~現在 DIVE INTO CODE 創業
RubyWorld Conference 2016 登壇

すべての人が、テクノロジーを武器にして活躍できる社会

アフリカで国際協力を始めたきっかけ

――これまで国際協力を始めたきっかけから、現在に至るまでの流れを詳しく教えてください。

きっかけは、難易度が一番高いといわれるところで、チャレンジをして仕組みを作れたら、どこでも活躍できると思ったからです。

起業するときに「すべての人が、テクノロジーを武器にして活躍できる社会をつくる」という理念を決めました。

目標をどうすれば達成できるのかを考えた時に、途上国でもチャレンジしようとした人が、チャンスをつかみ自分の価値を社会に役立てる、それを技術を使ってできれば素晴らしいと思い、海外に進出しました。

――なぜアジアではなくアフリカを選んだのですか?

1点目としては、難しいから挑戦するという理由。

その他に、もう一つ理由があります。

子供のころからアフリカで事業をしてみたいという気持ちがあり、卒業文集には社長になり世界にはばたくと書いていました。

その当時、生き物が好きでいつかアフリカの大地で現地の人の役に立ちたいという思いがありました。

 


卒業文集に「社長になる」

 起業家になった理由

――なぜ起業家になることを選んだのですか?

起業家になろうと思ったのは小学生の時です。

当時、何かを作り出し社会で大きな影響力を持ったり、周りから喜ばれるものを生み出したいと思っていました。

ただ、高校から大学に進みながら、自分のやりたいことが見えなくなっていました。

そんな時に、父の死をきっかけに、人生を見つめ直し卒業文集を見返して

「自分はこんな風になりたかったんだ」

と思い出しました。

そして、社会人になってから、その夢の実現に向かい、本格的に動き始めるようになりました。

起業家になるまでの道のり

――そこから起業するまではどのようなプロセスを歩みましたか?

社会人になってからは、いろんな会社に勤めてきました。

しかし、常に自分が独立して会社を設立するために必要なスキルについて考えていました。

最初に勤めた会社は販売職です。

そこでは、自分自身やりたいことがまだ明確になっていなかったので、商品売買のスキルをつけるために働きました。

ある程度ビジネスの仕組みがわかってきたので、次は、法人営業の仕事に転職しました。

自分から提案をして新しいサービスを作って売るスキルを身に付けるためです。そこで一通り営業のプロセスを身に付けました。

そして、システム開発の会社に転職しました。

理由は、開発をして世の中に新しいものは生み出したいと思ったからです。

未経験からITの世界に飛び込み、プログラミングと出会うということになりました。

そこで一通り学び、最後に経営学を学ぶために大学院に行きました。

自分にとって必要になりそうな知識をつけて、そろそろ起業しようと考えていた時に、ビジョンが似ている方とご縁があり、一緒に活動しました。

しかし、なかなかうまくいかず、一度離れることにしました。

個人事業主になり、ビジネスモデルを1年間で300個考えました。

その後で、スタートアップでのアルバイトやセミナーを開催するなどをして自分がやろうと決めたのが今の事業です。

―― いきなり起業するのはどう思いますか?

結論から言うと正解はなく自分で決めるしかないです。

ただ、私の経験からすると今まで積み上げてきたものは全て生きていると感じます。

会社員の経験から仲間との会話やプロジェクトの進め方についてフィードバックできます。

いきなり起業することもできますが、その経験がないと業務を乱暴に投げつけたり、一人で全部抱えてしまう可能性が高くなるでしょう。

一方で、あまりにも経験を積むことを重視すると目的を見失ってしまいます。

なので、その塩梅を考えて自分で決めるしかないと思います。


自分は生きるか死ぬかの意思決定をしていない

大切にしているマインド

――今の活動をする上で大切にしている考えや、その考えをもった原体験があれば教えてください。 

大切にしている考え方は、

「人生はいつか終わる」
「自分が生きるも死ぬも選べる」

ということです。

この考えは、父親が亡くなった時に気づきました。
自分は生きているが、生きるか死ぬかの意思決定をしていなかったのです。

生きようとする意思を持っていない、とても中途半端な生き方でした。

それに気づき、
「まだまだ思う存分生き切ってない」
「自分が納得するまで生き切ろう」
「限られた人生をよりよく生きよう」
と意思決定をしました。

それから、時間を無駄にしないよう、食事や洗濯などすべての時間を測りはじめ、無駄なく時間管理できるように12年間やってきました。

その時間を測る活動の中で、2点気づいたことがあります。

1点目は、人を変えるのは難しいこと

2点目は、もっと私自身の時間を輝かせることができる活動があるのではないかということ。

それらができたらすごいことだと考え、現在、活動しています。

現在の活動に必要なマインド

――今の活動をしていて必要だと感じたマインド(哲学)があれば教えてください。 

自分の決めたことを徹底的にやることです。

起業してから海外展開することを目指していましたがここまで来るのに4年くらいかかりました。

起業した当初は、目の前の人に価値を提供するので精一杯でしたが、4年ほどしてようやく落ち着き、人とのご縁があって海外進出できました。

ここで感じたのが、誰よりも突き詰めることがとても大切だということです。

また、相手が価値を感じないことを追いかけていくのはただの自分のこだわりに過ぎないので、相手が価値を感じることに向き合っていく必要があります。

最後は、アパホテルの社長から頂いた「二兎を得るもの、三兎をも得る」という言葉で、チャンスがあったらとにかく手当たり次第につかめという意味です。


今後のトレンドは、自律自走できる仕組み

理想の社会と自分の関わり方

――国際協力における理想とする社会となぜそこに自分が関わりたいのかを、教えてください。

事業の最終目的は「すべての人が、テクノロジーを武器にして活躍できる社会をつくる」です。

そのためには、全大陸にDIVE INTO CODEの拠点があり、現地の人が教え、現地の価格で運営するコミュニティーを作る。

その結果として現地の産業が発展し、雇用の創出が実現すると考えています。

日本でもプログラミング教育が盛んになってきていますが、教えられる人が少ないです。

厳密にいうと、スキルを持った人はたくさんいるのですが、情熱をもって教えることを専業にしたい人やその仕組みとして提供できる人が足りないです。

それを補うためにも海外から教えたい人を呼ぶことで、途上国の人が仕事ができるようになり、日本人も成長することができます。

私はこの目的を達成できたら最高だと思っています。

10年後までに必ず達成します。

今後の国際協力はどうなるのか?

――今後の国際協力の潮流や新しい動きがどのようになって行くか何かお考えがあれば教えてください。

自律自走できる仕組みこそが新しい国際協力だと思います。

現状では、自律自走できている国際協力はほとんどありません。

物資提供などの一方通行の支援でその支援に甘えている状態になってしまっています。

現地の人とアップデートし続けることが大切になっていきます。

DIVE INTO CODEは、まさにその自律自走できる仕組みを提供することができています。

読者へメッセージ

――最後に国際協力の道を志す人たちに応援メッセージをお願いします。  

とりあえず、やりたいと思っていることを伝えてみることが大切です。

自分よりも先に進んでいる方にお話を伺い情報を交換する。

そして、やりたいことを伝える。

そうすると全部つながってくると思います。

私は行動する方が大好きなので、連絡していただければお話しますし、海外の展開先に遊びに来ていただきたいです。

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