今回は、SOLTILO株式会社で本田圭佑とともにカンボジアやウガンダなどでサッカークラブ運営事業を行なっている二村さんに話を聞きに行きました。

元々は、プロのサッカー選手になろうと思っていた二村さんがアフリカで事業を行い、社会貢献を仕事にする決意をした理由とは?

プロフィール
二村元基

SOLTILO株式会社
海外事業部 / アフリカ統括マネージャー
1986年10月26日生まれ、現32歳(本田圭佑と同い年)
愛知県名古屋市出身 5歳で父を亡くし、母子家庭で育つ
アシックス退職後、青年海外協力隊としてウガンダに派遣現地ではシングルマザーを雇用し、ウガンダ産レザーを使用したハンドメイド商品を開発、日本のフェアトレードショップを中心に販売する。
2017年12月より、ケニア/ウガンダ/ルワンダの機会に恵まれない子どもたちを対象としたチャリティプロジェクト「AFRICA DREAM SOCCER TOUR」を展開。

 


車椅子のS級ライセンスコーチ羽中田さんとの出会い

 

ーー新卒でアシックスに入社されたきっかけはなんですか?

きっかけは、車椅子のS級ライセンスコーチ羽中田さんとの出会いです。

高校までサッカーをやっていましたが、プロにはなれないと早い段階で気づきました。

しかし、サッカーで飯が食いたいと考えていた私は、選手以外の選択肢としてクラブの運営で働こうと思うようになりました。

そこで、大学4年の時にカマタマーレ讃岐というチームにインターンをしました。

現在はJ3ですが、当時は四国リーグ1部でした。
そのまま就職し、チームを強くしていきたいと思っていました。

その時の監督である羽中田さんに

「二村君は、ここにいるとできる人になっちゃってるけど、社会に出たらそんなことないよ。できない自分を見たほうがいい。」

と言っていただきました。

その言葉を受けて、その時に内定を持っていたアシックスに入社します。

3年でカマタマーレに戻ろうと思っていましたが、お世話になっていた社長さんが変わってしまったため方向転換をしました。

どの道に進もうか考え直したときに、自分には母子家庭サッカーの2軸あることが分かったんです。

母子家庭の年収平均は300万に満たず、私の初任給より低いです。その現状を変えたいと思い活動を始めました。

 


絶対的貧困と相対的貧困

青年海外協力隊としてウガンダへ

ーーその後、青年海外協力隊に行かれた経緯を教えてください。

協力隊に参加するきっかけは、絶対的貧困を知ってしまったからです。

旅行でインドを訪ねた時、目に見える貧しさが目の前にありました。

日本の貧困は相対的な貧困であり、誰でもスマホを持っていたりします。

まずは、元気なうちに絶対的貧困に直面する現場に飛び込んでみようと思い自由度の高い協力隊でウガンダに行きました。

ーーー協力隊ではどのような活動を行っていましたか??

現地ではシングルマザーを雇い、レザークラフトを作ってました。

マザーハウスの山口さんにあこがれて始めました。

モノづくりをしたことがなかったため、一から勉強して半年後には一人雇うことができました。


ウガンダの人たちは、国際的な評価基準でみると貧困と分類されるが、行って感じたことがありました。

悲壮感があるわけではない。貧しいから心が廃れているわけでもない。

それよりも日本で働いているシングルマザーをよりサポートしたいと思い日本に軸を戻しました。

SOLTILO株式会社で働くまで

ーーー帰国後から現在の活動に至った経緯を教えてください。

帰国後は、2年くらい母子生活支援施設で働いてました。

そこで暮らす方々を助けることができないかと考えた時に、ビジネスという手段が結論になりました。

そこで、一度ビジネスの現場に戻り、ゼロイチの力を身に着けるために今の会社であるSOLTILO株式会社に入りました。

この会社に入ったきっかけは、自分の強みを生かせるからです。

「アフリカで活動した経験」「英語力」「サッカー経験」と会社のキーワードと自分のキーワードがマッチしました。


【“モノ”ではなく、”機会”の提供を】3つの機会とは??

現在の活動

ーー現在はどんな活動をされていますか? 

現在は、本田圭佑グループの一つであるSOLTILO株式会社で海外事業部 / アフリカ統括マネージャーとして働いています。

事業内容は、国内外でのサッカースクール事業、スポーツ施設運営、国外サッカークラブ運営(カンボジア、ウガンダ)の3つです。

そして、この事業を基盤に 「AFRICA DREAM SOCCER TOUR」というチャリティー活動を行っています。

この活動は【“モノ”ではなく、まずは”機会”の提供を】というコンセプトのもと《3つの”機会”の提供》をしています。

1 無償でのサッカー指導の機会の提供
2 サッカーアカデミー入団の機会の提供
3 サッカー以外の選択肢の提供

このプロジェクトを始める時に、本田圭佑に提案したところラインで

「どんどん暴れて」

と7文字だけ。

本田とは同い年なのですが、上に立つ人間が彼でよかったと思いました。

俺の名前を使えるだけ使って構わないと言ってくれているので遠慮なく使わせてもらってます。

これまでの失敗

ーー これまでの国際協力における活動において、「これは失敗だった」と思う体験や経験はありますか?

コンセプトの1つ目の無償でのサッカー指導の機会の提供につながる失敗があります。

最初は、ルワンダのストリートチルドレンにサッカーを教える活動からスタートしました。

現地のメディアや政府系の方を呼び教室を開きました。しかし、次の日にお礼に行くと彼らを使って金儲けしようとしていると思われ、子供に教えるな、テレビの映像も使うなと、、、

原因は2つありました。

1つは、活動の意義をしっかりと伝えきれていなかったことです。意義の言語化を相手が腑に落ちるまでできず、ふわふわした状態で進んでいました。


もう一つは、スタンスの問題です。僕らがやってあげるよというスタンス
今までサッカーを教えてもらったことがないのだから、やるしかないでしょっていう。

しかし、彼らからするとそんなことは関係なかったのです。

その2つはとても経験になりました。

大切にしているマインド

ーー現在の活動をする上で、大切にしている考えを教えてください。

コンセプトの2つ目のサッカーアカデミー入団の機会の提供の部分で大切にしている考えがあります。

それは、彼らを100%依存者にしないことです。

上手な子にはアカデミーの試験に受けてもらいます。
合格した子には補助するが全額補助しないです。

彼らにとって全額補助は、天からの贈り物のようなもので継続性がないです。
結果的には彼らの生きる力を奪うことになると考えています。

国際協力に正解はないです。モノを提供する協力が不正解かというとそうではなく、役割分担が大切です。

 

ーーサッカー以外の選択肢の提供とはどのようなことをしているのですか?

社会見学のような形で、ケニアにあるHONDAのバイク工場や、ローカルのNGOが運営しているサッカーボール工場などを訪問し、そういったところで働くためのキャリアパスなどを知ってもらいます。

また、ルワンダでは日本人アーティストの方に似顔絵教室を開催して、アーティストとしての可能性も示してもらいました。

彼らに「サッカー選手になりたいですか」と聞いたら、なりたいと言うに決まってます。

子供たちは、選択肢がとても狭まれています。

彼らの職業を否定したいのではなく、目の前にある選択肢を一つでも増やしたい。

きれいな言葉でいうと与えられた環境を受け入れるしかない子供を一人でも減らしたい」です。

読者へメッセージ

ーー最後に国際協力に関心のある人たちに応援メッセージをお願いします。

意志あるところに道は開けます。

「今(能力・経験を考えて)できないから」ということは「やらない理由」にはならないと思います。

優秀な人も最初から優秀ではなく、もがいて経験して築き上げたものです。

年齢関係なくやりたいことがあるならやってほしい。

これを読んでる人と一緒に仕事ができればいいなと思います。