カンボジアでの染め物事業やジャーナリストとしての活動、ニュースアプリ「どっち」の立ち上げなど様々な方面から社会貢献を行ってきた廣瀬さん。
現在は、ボーダレスグループ Tomoshi Bito株式会社(ともしびと)で、子どもが「社会を変えられる」という意識を持てる学校教育プログラムを手掛ける。
様々なファクターから社会を見つめ、行動し続けてきた彼は何を感じ、何を想ったのだろうか。
滋賀県出身。
立命館大学卒。
高校生の時、学校の授業で国際協力を学び、途上国の力になりたいとカンボジアに渡航。
その後、報道写真家を志し、東南アジアやアフリカ、大洋州の国々を取材。
発信に取り組む中で、日本の社会・政治への参加意識が低いことを知り、「情報を受け取り、行動をする人」を増やす必要があると気付く。
ボーダレス・ジャパンの起業家採用を受け、新卒入社1年目でTomoshi Bitoを起業。
ニュースアプリ「どっち?」「Social Post」の運営を経て、現教育事業を立ち上げる。
多くの事業を手掛けてきた廣瀬さん。
はじめは自分のしたいことがわからずに悶々としていた頃があったと言う。
そんなときに関わっていたのがカンボジアでの活動だった。
カンボジアで活動を始めたきっかけは何であるのか。
教育をはじめとしたボランティア活動を通して、カンボジアに親近感を持つようになった廣瀬さんは、染め物ブランドを立ち上げた。
学生時代には、何度も渡航したカンボジア。
この場所で彼が今も大事にしている「人としての筋を通す」という信念も形成された。
その信念は、ある先輩(ユウタさん)とのエピソードがきっかけだった。
あるとき廣瀬さんは、染め物事業を支援してくれていた団体の代表であるユウタさん の知り合いの男性に カンボジアでクメール伝統織物研究所という村を作ったMさんを紹介してもらい、ユウタさんと知り合いの男性と共にMさんを訪ねた。
その日、ホテルに帰った廣瀬さんを待っていたのは代表・ユウタさんからの厳しい叱責だった。
周りの人のためにも「人としての筋を通す」と語る廣瀬さんは、とても魅力的だった。
次回は、廣瀬さんの原動力、そしてメッセージをお伝えします。失敗はないと言い切る廣瀬さんの真意とは。お楽しみに。