「安楽死は日本で禁止されている」という言葉を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。

世界各国では認められているものの、日本ではまだ法律的・倫理的に浸透していない「安楽死」。折に触れて議論に挙がることがあるので、目にしたことのある人もいるかと思います。

近しい概念として「尊厳死」という言葉もあります。尊厳死と安楽死との大きな違いは「死に至ると理解していることを、積極的に行うかどうか」です。

このコラムでは「そもそも尊厳死って?」「どんな議論が展開されているの?」というテーマでお話をしようと思います。

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尊厳死と安楽死

尊厳死とは

そもそも尊厳死とは、「自然な状態にちかくして最期を迎える」死のことを言います。

具体的には、延命治療を過剰に行わなかったり、中止を選んだりすることで、「生存状態を延長する」のではなく「ケアを行い、より本人の望む形で最期を迎える」ことです。

ただし無条件に行えるものではなく、
・本人が尊厳死の希望を表明していること
・最後が近いことがわかっていること
・家族も尊厳死をすることに同意があること

といったことが求められます。

安楽死とは

安楽死とは、「本人の希望をもとに、その人の主治医が死に向かうための行為を行う」死のことを言います。

具体的には、筋肉を緩める薬を用いたり、致死量を超える薬を用いたりして、死期を早めることを指します。

ただの殺人と大きく異なるのは、「あくまでも本人の希望に沿って行われる」ということです。

≫安楽死と尊厳死とは?現状や違い、世界との比較、実例などを解説!

尊厳死の社会承認

2003年以降、日本では「尊厳死」を法律的に許容しようという動きがあります。日本尊厳死協会によって「尊厳死に関する法律案要綱」が作成されました。

日本尊厳死協会は、「日本安楽死強化機」として設立された後に改称した団体です。

「人間性の尊厳を守る人権の主張」を基本に、現在は法律というよりむしろ「リビング・ウィル」への登録を促し、広く社会に普及することを目的に活動しています。

リビング・ウィル

リビング・ウィルとは、「終末期医療における事前指示書」のことです。

自然な死を望む人が、自分の意思を元気なうちに記しておくものになります。

団体や厚生労働省の資料などに基づき、自らの意志で最期をどう迎えるかを選択します。

尊厳死に関わる議論

海外の議論

尊厳死に関しては、世界各国でさまざまな議論がなされています。
中でもアメリカでは、言葉の定義に関しても日本と大きく異なっています。

アメリカで「尊厳死」という言葉が差しているのは、日本でいう「安楽死」。

つまり、医師による「死へ向かう行為の手助け」です。

日本でいう「尊厳死」にあたるのは「自然死」という言葉で表されます。

言葉だけでなく、法律の観点で見ても大きな差があります。

アメリカにおいて尊厳死(自然死)は、いくつかの州で法律として認められており、一定の割合で行われているのです。

また、アメリカ以外の国でも法律で認められ、一定割合で行われている場所は存在します。

・治療の難しい病に侵されおり、余命6ヶ月以内が確認された状態であること
・患者自身に判断能力があること
・患者自身が薬を服用すること

など、特定の条件はいくつかあるものの、自己決定に基づいて尊厳死(日本でいう安楽死)の実施が定められています。

これは、海外において「患者の死ぬ権利」が論じられている経緯があり、それを完全ではないが認める傾向になっていることが大きな理由です。

国内の議論

尊厳死は、当然賛成している人と反対している人とがいます。日本での議論における問題点は、「患者の意思表示」と「医師の治療義務」に大別されます。

尊厳死に関わる報告書を参照すると、尊厳死は「もっぱら延命のためにのみ実施されている医療すなわち過剰な延命治療を中止することとし、患者の自己決定権を尊重し、患者の選択した生き方ないし人生最後の迎え方を尊重する。」とされています。

また、ここに「延命治療の中止は自然死を迎えさせるための措置で、その場合は獅子でも、医師の手による殺人でもない」とも記されているのです。

しかし、
「患者の意思は尊厳死実行時にも継続されているのか」「意思表示がない場合、家族との意思疎通によって理解するのか」「積極的な安楽死と単なる延命治療の停止」の判断が曖昧になる恐れがあること」等の議論があります。

実際に、患者本人と意思疎通ができなくなってから、家族や医師により延命治療が行われてしまった事例も複数あります。医師側としても、過去に延命治療を停止したことにより有罪となっている事例があり、危惧している部分も多いようです。

おわりに

「死」は誰にも必ず訪れることで、関係のない人はいません。

自分がどんな最期を迎えたいか。見送る側として、どんな最後であってほしいか、偏に決めることはとても難しく、人に強いることはできません。

今後も議論が続いていくであろう「尊厳死」には、個人の姿やあり方までも問われていくかもしれません。みなさんはどのように考えますか?

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