今回は、ソーシャルビジネスで国際協力をされている中村八千代さんに公開インタビューを行いました!
寄付だけに頼らずビジネスとして事業をしていた理由とは?
予期せぬことが多発する発展途上国で、ビジネスとして人材育成事業を10年も続けられたのはなぜなのでしょうか?
1969年東京生まれ。
明治大学商学部卒業後、カナダに留学。
帰国後、父親の会社が倒産し、連帯保証人として自身も26歳で4億円の借金を背負うことに。
借金返済後、2006年に途上国の恵まれない子どもたちを支援する非政府組織(NGO)「国境なき子どもたち」の派遣員としてフィリピンに赴任。
2010年にソーシャルビジネス「ユニカセ・コーポレーション」を創設、貧困層の青少年の雇用機会創出を目的としたレストランをオープン。
2021年2月、感染症拡大の影響でユニカセレストランは閉店し、青少年育成事業を軸とし講演活動や新規事業を立ち上げ再スタート。
ユニカセについて
ーーーユニカセとはどのような団体ですか?
ユニカセとは、フィリピンと日本で青少年育成事業を行っている団体です。
2010年には「ユニカセ・コーポレーション」としてフィリピンのマニラに自然食レストランを開業し、2013年には青少年育成事業を強化するため、日本で「NPO法人 ユニカセ・ジャパン」を設立しました。
フィリピンにある自然食レストランでは、貧困層の青少年を雇用し、ビジネスマナーやビジネススキルなどの研修を通してフィリピン人青少年の自立を促す活動を行っていました。
現在、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でレストランは閉店しましたが、青少年育成事業を継続しながら、パートナー団体と協力し新規事業の準備を進めています。
ーーーなぜ寄付に頼るのではなく、ソーシャルビジネス(レストラン運営)を行なわれたのですか?
NGOで支援を受けたフィリピン人青少年たちの経済的にも精神的にも自立を果たす仕組みを作りたかったからです。
多くのNGOなどが貧困問題に取り組み、スタッフたちは身を削って支援活動を行なっていますが、残念ながらこれからも貧困は完全にはなくならないと思っています。
ただ、貧困を削減したり、社会を改善していくことはできます。
NGOで教育・生活支援などを受けたあと、学歴社会で行き場がない青少年たちの受け皿を用意し、貧困の連鎖を断ち切るため彼らが寄付に頼らない仕組みを作ることが持続可能だと考え、彼らが働けるビジネスの場を生み出しました。
事業を10年続けられた秘訣
ーーー10年以上、事業を続けることは簡単なことではないと思います。長く継続するために意識されていたことを教えてください。
意識していたことは2つあります。
1つ目は、相手の立場に立って考える、ポジションチェンジです。
例えば、私がお客様の立場だったら、あるいは青少年の立場だったら何を求めているだろう、本当のニーズはなんだろう、と常に考えています。
そのようにいつも相手のことを考えながら、自分たちが相手に与えられるベストを提案することを意識しています。
2つ目は、事業を行う上で大切なプロセスである7ステップです。
まず、①社会に注意を払い、②その中にある課題に気づき、認識する。
次に、③その課題をどのように改善、解決することができるか考える。
考えるだけで終えるのではなく、④考えたことを企画に落とし込み、⑤関係者と相談し意思疎通を図りながら、⑥実行する。
最後には、⑦実行したことを評価する。
このような7つの工程を繰り返すことによって、ユニカセは事業を改善してきました。
失敗は誰にでもあり、失敗自体は悪いことだとは思っていません。
ベストを尽くしながらも失敗してしまったら、何が原因であったかを探り、失敗から学び次に活かすことが大切です。
ーーー発展途上国での活動では予期せぬ事態が起こることが多いと思いますが、リスクを抑えるために意識していたことはありましたか?
事前準備が大切です。
思い立った時に行動することももちろん大切ですが、発展途上国では命に関わる状況になりかねません。
やはり仕事という枠組みの中では、リサーチを重ねてから行動するべきですね。
活動のやりがい
ーーー活動を通して、どのような時に活動のやりがいを感じますか?
やはり、育成したフィリピン人青少年たちやインターンの学生さんたちの成長を実感した時です。
特にユニカセで育成を行なっているフィリピンの青少年たちは十分な教育を受けていなかったり、親の愛情を受けていなかったり、路上生活を強いられた過去があります。
そんな環境で育った彼らが、レストランでの業務で自発的にお客様のためになることを考え、喜ばせることができた瞬間は今でも忘れられません。
また、フィリピンの最貧困の青少年だけでなく、日本人インターン生のOB・OGの方々が社会に出て、ユニカセで学んだことを活かしてくれてることもとても嬉しいです。
ユニカセレストラン閉店への葛藤
ーーー新型コロナウイルス感染症拡大の影響でユニカセレストランは今年の2月に閉店せざるをえなくなってしまいましたが、それまでに葛藤はありましたか?
もちろんありました。
昨年がユニカセレストラン10周年でしたが、既に現地で育成した青少年たちにお店のマネジメントを任せ、やっと軌道に乗り始めていました。
ちょうどそんな時期に、パンデミックが起こり街が封鎖されてしまいました。それでもなんとかレストランを続けようと、デリバリーやテイクアウトのサービスも始めたのですが、それでも売り上げは8割ほど激減しました。
そんな中、毎年11月に実施しているNPO法人 ユニカセ・ジャパン主催のアジアンカンファレンス開催準備のために私は日本へ一時帰国をしたんです。
お店のマネジメントは現地の青少年たちを信じ、私はオンラインで見守っていこうと決めていたのですが、2ヶ月で代表を任せたスタッフとの連絡がつかなくなってしまいました。
そのため、ユニカセレストランは営業できず、家賃などの経費だけが膨れ上がってしまい、断腸の思いで閉店を決意しました。
一緒にレストランを経営していた最貧困層の青少年たちは心に傷を負っているケースが多いので、支援もなく自分たちだけで運営を続けるのは大変だったと思います。
閉店という結果になりましたが、10年間、ユニカセレストランの運営を全力で行ってきたので、不思議と連絡が取れなくなってしまった現地のスタッフへの怒りなどは湧きませんでした。
ーーー次回予告
第一弾では、中村さんがどのような活動をしているのかお伝えしました。
次回は、現在の活動に至るまで、中村さんがどのような人生を歩んできたのかお伝えします。
≫貧困層の子どもが求める大人になりたい。ユニカセ設立に至るまで。#2〜ユニカセ・ジャパン 中村八千代さん#2〜
青山学院大学地球社会共生学部2年。
国内外の教育に興味があります。
この記事の監修者
吉田宏輝
COCOCOLOREARTH代表、社会活動家。
COCOCOLOREARTHでは、社会課題解決を軸にした就職・転職活動を支援するインタビューメディアの代表として、100人以上の社会活動家にインタビュー、記事執筆やイベント登壇などを行う。