今回は国際協力NGO JANICと米国に本部のある一般社団法人International Medical Corps日本の二つの団体で活動をしている、松尾沢子さんにお話をお伺いしました。

JANICではコーディネーターとして、NGO団体向けに自己診断ツールの作成を通して社会からの信頼を得ていく組織になる活動や、自然災害や紛争から生まれる被災者や難民への人道支援に関する国際基準の普及を担当しています。

一方、International Medical Corpsでは日本で災害が起きた際にアメリカから支援を行うための日本事務所の責任者を務めているそうです。

このように、社会貢献を仕事にする松尾さんの思いや考えに触れていきましょう!

プロフィール
松尾沢子

上智大学卒業後、JICAへ就職。
NGOの重要性を知り、JANICへ転職。

冷戦下での友達の姿から学んだこと

これまでの経緯

―― これまで国際協力を始めたときから、現在に至るまでの流れを詳しく教えてください。

私は上智大学を卒業した後、JICAへ就職しました。

JICAでは研修事業部で3年働いた後、外務省へ出向、NGO等のJICA以外のアクターとの連携制度の企画や促進、総務部門の仕事をしました。

特に外務省に出向の時にはOECD(経済協力開発機構)の開発援助委員会(DAC)を担当し、各国の政策を聞きつつ、日本の意見をDACの開発政策に反映する仕事を担わせていただきました。

その経験から国際協力における各国政府や国際機関、民間財団やNGOの存在を知りました。

その後、国際協力や社会課題を解決する取り組みは、政府系の機関だけでは発展しない、っと民間、特に市民社会に立脚するNGOががんばらないといけないなと思うようになりました。

そのことから、NGO側に関わりたいなと思い、JICAからネットワークNGOとしてNGOセクター全体に関わることができるJANICに転職しました。

 

 ――そもそも、上智大学からJICAに就職するまでのきっかけはありましたか。

発展途上国の人々やこれからの世代の、人生の選択肢を増やす仕事をしたいと思ったことがきっかけです。

上智大学への進学時はジャーナリズムに関わりたいと思っていたので、文学部新聞学科を選びました。

しかし、勉強していく中で記者や編集者になるためには専用のトレーニングがあることに気付きました。

また、ジャーナリズムには情報の受け手が意識をもって接する必要があると感じ、「情報の発信源」ではなく、適切に情報を選び理解できる「情報の受け手」になろうと考えが変わりました。

就職活動の際に、父の仕事の関係でアメリカの小学校にいたころのことを思い返しました。

当時の学校にいた友達の出身国は多様で、中には発展途上国出身の友達もいました。

学生の頃はその子たちの母国の社会や文化、暮らしのことについてあまり関心を持ちませんでした。

しかし、私が高校生のころに東西冷戦が終わり、ユーゴスラビア出身の友人のように母国を失うなど同世代が時代に翻弄される事態がおきました。

同じ世代でも違う人生があり、またさまざまな形での不公平があるんだと感じました。

すべてを解決することはできなくても少しでも不公平を減らし、自分なりの人生をいきる選択肢をつくることに関わりたいと考えました。

そのためには、どう社会と関わっていくかと考えた結果出てきたのが国際協力でした。


世界に偏見を持たず客観的に己を見る 

活動する上で大切にしている考え

――国際協力で活動している中で、大切にしている考えを教えてください。

自分の置かれた状況を客観的にとらえ、俯瞰的に動くことを大切にしています。

小学校時代のユーゴスラビアの出身の友達が体験した社会の変化を考えた際に、

「自分が同じことになったらどう思うだろう」

と考えると同時に、

「相手にとって日本にいる自分はどんな存在なんだろう」

と考えを巡らせてみました。

あるいは、私が大学4年生だった当時は日本のODA支出金が世界第一位で、政府もODAを通して国際貢献しようという意識が強く、他国からも期待されていました。

そのような期待の中で、自分が国際協力に関わるとしたら、どのように考え、ふるまうことが適切なのかを考えました。

OECD/DACの仕事を通じて、各国の主張の背景にある考えや事情、同じようにある日本の主張や事情、それらを俯瞰して、合意形成を試みる訓練ができたのは、よい経験でした。

中国の災害関係者と日本における国際基準の普及状況についての共有

活動に必要な力

――今活動していて、必要だと感じたスキルや、その事例を教えてください。

 他国や主張の違う人に対して先入観を持たないことだと思います。

また、そうするために彼らの歴史や文化、暮らしなどについて知ることだと思います。

冒頭紹介した支援の国際基準の普及活動を始めるにあたって、私は不安でした。

私は大学で法学部であったわけでなく、難民問題に強い関心をもっていたわけでもなかったので、世界人権条約や難民の保護に関する考え方を知りませんでした。

それでも担当となった際に、条約のことや、”何が”起きたから、関係者が”どう”動いているのかといった「経緯」を勉強する中で、それまで漠然と持っていたイメージと実際は違っていたことを知り、先入観を捨て一から学び吸収することの大切さを感じました。

例えば、JICAに入って最初の仕事あったベトナムの行政官を研修員として日本に受け入れた際には、ベトナムの歴史、また日本とベトナム間にはどのような歴史があるのだろうかなど一通り勉強しました。

同時に、来日する研修員一人一人の家族や暮らしについて知ることに努めました。それは「共産圏だからこうなんだろう。」という先入観をもって個人に接すると見えてこない、一人一人の個性や意見がわかると思ったからです。


社会にも自分にも/権利がキーワード

国際協力における今後のキャリア

――国際協力における今後のキャリア教えてください。

 自分にも他人にも暮らしやすい社会づくりに関わっていきたいです。

私は、長く仕事を続けたいと思っているので、その仕事を通じて社会に関わり続けるのだと思います。

今はNGOで仕事をしていますが、機会があれば非営利セクターに資金を提供する民間財団で働き、暮らしやすい社会づくりに関わる人たちを応援したり、仕組みを発展させてみたいと思っています。

これからの国際協力

――今後の国際協力の潮流や新しい動きはどのようになっていくと考えていますか? 

権利という言葉がキーワードとなってくるでしょう。

開発の世界は、開発をする側の主導で仕組みが作られ、評価軸が作られていました。

しかし冷戦後、世界が直面する課題は複雑化し、かつその解決が一部の大国だけの力でできるわけではないことがわかってきました。

これはG7よりG20の方が影響力があることからも分かりますね。

また、直面する課題を見てみても、経済力や政治力だけでは解決できない、地球という惑星上で人類が共生、存続するかというグローバルな問いも突き付けられています。

この事態への対応策がSDGsです。SDGsは単に17つのゴールなのではなく、人々や社会が平和で公正な世界をいかに作り上げるかを提案したものなのです。

そしてそのためには、一人一人の権利を保障し、またその参加が前提となっています。これをいかに実現していくか、自分自身でも今までのやり方を見直し、考え試行していきたいと思っています。

人道支援に関する国際基準の普及を進めるJQAN(支援の質とアカウンタビリティ向上ネットワーク)の仲間と

読者へメッセージ

――最後に、国際協力の道を志す人たちに応援メッセージをお願いします。

 直接働いている方や何か行動を起こしている方と会って話す機会を増やして、そこから備えをより具体的にできるようにするのが良いと思います。

というのも、私自身もキャリアを転換するときに相談したのは、私がこの20年間であってきた方々の中でも、特にキャリアを自ら作り出すために行動している方々でした。

なので、自分のロールモデルとなる方と出会うために行動することが、なりたい自分への道につながっていくのではないかなと思います。