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〈第2回〉2つの国にルーツを持つ私と、小さく生まれた2つの命

「マイノリティを生きる」第2回は、パキスタンと日本にルーツを持つサリアについて。

サリアは日本で生まれ育ったが、目鼻立ちのはっきりとした見た目から「ガイジン」と扱われ、中身とのギャップに悩むことも多かった。

サリアの双子の子どもたちは、それぞれに障がいを持っている。

子どもたちの進路や自分のルーツのことなど、多くの壁にぶつかりながらも、自分が納得できる答えを模索し続けてきた。夫との出会いから、現在に至るまでの道のりをお届けする。

目立ちたくない、普通になりたい

朝、早いと3時か4時に目が覚める。布団に入って深い眠りに入ろうとする頃に、子どもが叩いて起こしてくるのだ。

脳性麻痺の障がいを持つセナは、現在中学1年生。乳児の頃より、思春期に入った今のほうが睡眠時間が短くなってしまった。脳神経の問題なのか、就寝時間が早いせいなのか、いつも明け方になると起きてしまう。

暇を持て余すセナに叩かれて目が覚め、眠い目をこすりながらセナの背中をさすってなだめる。しばらくすると、リビングまで引っ張り出される。テレビをつけても、絵本を渡しても、そばを離れると怒って物を投げてしまう。てんかん発作が30分続く日もあり、そんなときは家事どころか、目を離すこともできずに寄り添っている。

運送の仕事をする夫は、朝5時頃に家を出る。セナの双子の妹、リコが起きたら、朝食の準備をして学校へ送り出す。ひと息つく間もなく、自分の朝食をかきこみ、出かける支度をして仕事へ向かう。

これが、サリアの朝のルーティンだ。

サリアは、日本人の母とパキスタン人の父のもとに生まれた。日本で生まれ育ち、話す言葉も日本語だけだが、病院の受付では「在留カードは持っていますか?」販売の仕事では「日本語上手ですね」などと声をかけられることが多かった。

美白がもてはやされる日本では、「日焼けしちゃった」「白くていいなあ」という会話をよく耳にする。直接言われることはなくても、褐色肌の自分を否定されているように聞こえてしまう時期もあった。

結婚14年目になる夫とは、海辺のリゾートバイトで知り合った。第一印象は、「とても普通の人」。

周りから注目されたくない一心で生きてきたサリアは、彼の素朴で穏やかなところに惹かれた。一緒に過ごす中で、「この人となら、普通の家庭が築けるかもしれない」と思った。

結婚してから、ふと気になって、夫に自分の第一印象を尋ねたことがある。「初めて会ったとき、私の肌の色とか気になった?」。すると、夫は即座に「うん」と答えた。

やっぱり、と思ったとき。「風が吹いてるなぁ、と思うのと同じような感覚だった」と言った。

さらりと放ったその一言が、サリアにとっては衝撃だった。大げさな表現ではなく、そのさりげない言葉が嬉しかった。

小さく生まれてきた子どもたち

サリアは、夫と結婚して1年後に双子を授かった。妊娠中、「羊水過多症」という症状で早産の危険があったため、予定日の3ヶ月以上前から入院していた。

双子の体重差、肺高血圧、胎盤血流の逆流・・・。心配事が多く、医師から説明を受けた時には涙が止まらなかった。

しかし、子どもたちはお腹の中で少しずつ成長している。「私がマイナス思考のままじゃダメだ!2人とも絶対無事に生まれてくる」と気持ちを切り替え、次の日からは明るく過ごすようにした。

夫も、「僕らを選んでくれたんだから、一緒に頑張らないとな」と声をかけてくれた。どんな子が生まれてきても、愛情を持って育てようと2人で決意した。

入院してから3週間ほど経ったある日。お腹の子や母体の状況を考え、急きょ帝王切開をすることになった。「腰への麻酔は、1回で入らなければ何度もやり直さなくてはいけません」と言われ、恐怖と痛みに耐えて、無事に1回で完了した。

それからはあっという間。「あと5分で赤ちゃん出てくるよ!」という医師たちの声。そして隣で夫が見守る中、2人が生まれた。

お腹から取り出された瞬間、涙が止まらず、声をあげて泣いていた。

子どもたちはすぐに新生児用の集中治療室に運ばれていき、ほとんど顔を見ることはできなかった。

妊娠27週で生まれたセナは770g、リコは678g。手のひらに乗るほどの小さな体。

医師からは、「子どもがきちんと育つには、30週以上お腹にいる必要がある」と説明されていた。夫が医師に呼ばれ、「これから72時間が山場です」と告げられた。

サリアは子どもたちのことを考えながら、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。

朝、産科の医師やスタッフが次々に来て、「赤ちゃんたち頑張ってるよ!すごく可愛いよ!」と声をかけてくれた。麻酔が切れて、お腹の傷がとても痛い。それでも、子どもたちに会いに行くために必死で体を起こした。

セナとリコはとても小さく、その体にたくさんの管が繋がれていて痛々しい。けれど、保育器の中で光を浴びながら懸命に生きようとしている姿に、サリア自身も励まされた。

「たとえこの72時間を越えられても、病気や後遺症など、さまざまなリスクがある」。医師の説明を思い返し、押し寄せる不安に飲み込まれそうになりながら、夫と2人で祈るような気持ちで過ごしていた。

それから3日後、子どもたちは無事に山場を乗り越えてくれた。

生まれてくること、生きていることは、本当に奇跡だと思った。

「障がいのある子」に対する葛藤

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