今回は家族でゲストハウスを営みながら、農村地域の持続的な発展を目指して活動する倉田麻里さんへインタビュー。
少子高齢化が進み、今後さらに大きな課題となっていくであろう地方の過疎化。

第一弾では、地域を元気付けるために取り組んでいることや、行動に移すために心がけていることについてお伺いしました。

プロフィール
倉田麻里 ゲストハウス・イロンゴ代表

大学時代、森林ボランティアの活動をしながら林業の現場を学ぶ。
その後、環境NPOイカオ・アコの現地駐在員として、フィリピンネグロス島に9年間駐在。
現地で植林活動を推進しながら、国際協力研修センターやオーガニックカフェなどのソーシャルビジネスを立ち上げる。
その後、地元の少子高齢化に危機感を持ち2017年に帰国。2人の子どもを育てながら、地域の交流拠点にするため2019年にゲストハウス・イロンゴをオープン。
同年に白山町の地域活性化推進を目的としたLanding in HAKUSANを立ち上げた。
さらに、2021年に地域のシェアスペース、ハッレ倭(やまと)をオープンした。

活動内容について

ーーー現在の主な活動内容を教えてください。

三重県津市白山町で、ゲストハウスとシェアスペースの運営、また、Landing in HAKUSANという団体を立ち上げてイベントの企画運営などをしています。

ゲストハウスは、日本の農村資源とフィリピン文化の発信、そして地域の交流人口を増やすことを目的にオープンしました。

観光客を呼び込んで、自然豊かな白山町やフィリピンの魅力的な文化を体験してもらい、地元の人々との交流を通して移住を考えるきっかけを作りたいと思っています。

私たちのゲストハウスの特徴は、フィリピン人の夫が教えるフィリピン料理体験や自然の中で農業体験を楽しめること。日帰り農業体験や、フェアトレード商品、地域の特産物の販売なども行なっています。

ーーーハッレ倭(やまと)は今年オープンされたのですよね。

はい、シェアスペースとして今年の春にオープンしました。

元は昭和11年に開設された村役場でしたが、市町村合併によって機能を失い、30年以上も人の出入りがありませんでした。

昨年、建物の老朽化により売却されることになり、「地域の宝を残したい」という思いで購入を決意しました。

その後、周囲の協力を得て、「人々の出会いと学びの場」として生まれ変わらせることができました。

シェアオフィスやワークショップで利用する以外にも、映画上映会や月1回のマルシェなど、さまざまなイベントを開催しています。

ーーーLanding in HAKUSANではどのような活動をしていますか。

現在は、コアメンバー5人で若者の移住促進を目的に活動しています。

30~40代の若手事業者が集まり、子どもの自然体験やインターナショナルフェスティバルなどのイベント開催、移住相談、地域の情報発信や農泊推進事業をしています。

こうした活動を通して、同じ想いを持っている人と繋がったり、「白山町に移住したい」と言ってくれる人に出会えるのが嬉しいですね。

メンバーの内3人は移住者ですし、コロナ禍で、田舎への移住に注目が集まっているので、これから白山町への移住にも関心を持ってくれる人がもっと増えたらいいなと思います。

ーーー活動をする上で大変なことは何でしょうか。

地域に住む高齢の方々と、私たちの動くスピードが違うところですね。

やりたいことがあっても、それを理解してもらうまでに時間がかかるんです。

移住受け入れに対する意識調査への協力を依頼した際にも、自治体の方から「1つずつプロセスを踏んでください」と指摘され、想定よりも時間がかかってしまいました。

私たちの独断ではなく、住民の皆さんの意見を聞きながら進めたいと思っていますが、温度差を感じることもありますね。

住民の中には、少子高齢化が進んでも「このままでいい」と思っている人もいるかもしれません。

しかし、そのまま放っておいたら、あっという間に生活に必要なインフラやコミュニティが縮小してしまいます。

私は、自分を育ててくれた場所を誇りに思うし、その素晴らしい環境を子どもたちにも残してあげたいと思っています。

そのためにも、やるべきことをやっていこうと思っています。


地元への思い、心がけていること

ーーー2017年にフィリピンからUターンされたとのことですが、白山町の変化をどのように感じますか。

大学を卒業する頃から気にかけていましたが、実際に戻ってみて、高齢化や過疎化を肌で感じました。

後継者のいない家が多くて、町にも活気がなくなっています。農業の担い手の高齢化により、耕作放棄地も増えてしまいました。

フィリピンは田舎でも若い人が多く、活気がありましたが、白山町ではいつまで現在の5校の小学校が継続できるのか危うい状況です。

そのような状況の中、家族を連れて戻って来たため、地域によって貴重な存在として、私たちの活動を優しく見守ってくれているのかもしれないですね。

ーーー以前から地元に貢献したいという思いがあったのですか。

そうですね。自分の生まれた場所に感謝の気持ちもありますし、自然豊かな環境で育ったルーツが、フィリピンでの環境保護活動にも繋がったと思っています。

長い間フィリピンに貢献してきましたが、自分の故郷の課題を放置していることには罪悪感がありました。

だからこそ、今後は自分の海外経験を活かして白山町をもっと拓けた明るい場所にしていきたいと思っています。

一度戻ったからにはこの場所に根を張りたいですし、今後の展開としては白山町で地域活性化のロールモデルを作って、他の地域に役立てたらとも考えています。

ーーー全てゼロから立ち上げられていますが、アイデアを形にするために心がけていることを教えてください。

まずは、自分のやりたいことを周りの人に話すことです。

実際に動き始める前から「こんなことを考えている」と率直に話したり相談したりすることを心がけています。

夢を語っていると、応援してくれる人が増えて繋がりも広がりやすくなります。

ハッレ倭のオープンのためにクラウドファウンディングを利用したのですが、プロジェクトを始める前からたくさんの人に会って話をしていました。

中心になる方々に私たちの挑戦を広めてもらえるようにお願いしたり、自治会に行ってアイデアを共有したり。

地域の人にとっては、私の動くスピードが速すぎて理解してもらえないこともありましたが、何度も会って伝えるようにしていました。

人が集まって賑やかになる反面、近隣に住む人には迷惑に思われることもあるかもしれません。

何か行動を起こすときは賛成・反対どちらの声もありますから、皆さんの意見に耳を傾けつつも、自分の信念に正直に活動を進めていこうと思っています。


次回予告

2児の子どもを育てながら、農業やゲストハウス運営、イベント企画など、精力的に活動する倉田さん。ゆったりとした柔らかさの中に、芯の強さも持ち合わせている姿が印象的でした。

次回は、学生時代に経験した森林ボランティアやフィリピンでの活動など、現在の活動に繋がる背景をお届けします。

ライタープロフィール

安果(やすか)
発達障がい児支援士。フリーライター。
過去に保育施設コンサルの営業、マッサージセラピスト、コピーライター、旅行業などを経験。
2011年から国内外の孤児院やNGO団体、戦争跡地、フェアトレードタウンなどを巡る。
海外放浪・就労を経て2021年より地元愛知にUターン。