民間企業 活動家インタビュー

1人1人の人生をサステナブルに~Circular In-finity 佐藤慎一~

大学院時代に参加したCOP16

ーーー学生時代に力を入れて取り組んだ社会的な活動はありますか?

大学院時代に活動した、Climate Youth Japan(CYJ)という団体です。

今や10年以上歴史があるユース団体で、ありがたいことに官公庁や公的機関からも声がかかるようになりました。

私は、1期生で、体制もお金もない中での活動で大変でしたが、今日まで団体を広げていて嬉しい限りです。

この団体で10年前のCOP16などに参加してました。

当時は、設立したばかりで、主な活動はCOP16への参加と帰国後の報告会です。

COP16では、環境大臣に声明文を渡したり、化石賞を代表して受賞していましたね。

COP16の議長のパトリシアが今は条約の事務局長に出世しており、時間の流れを感じます。

環境問題を軸にしたファーストキャリア

ーーーファーストキャリアはどのように決めましたか?

環境の世界に身を置きたいという気持ちはあったと思います。 

もともとは、国家公務員を目指していたのですが、試験に落ちてしまいました。

どうしようか考える中で、日立製作所が大赤字からV字回復して、インフラ事業への選択と集中で改革をするところでした。

そこで、水インフラについてシステムから貢献し、人々の生活と水環境を支えたいと感じました。

ーーーソーシャルベンチャーへの就職は考えませんでしたか?

当時は、今よりもそういった企業が少なくあまり考えていませんでした。

また、外資系コンサルも一度考えましたが、環境問題に取り組める可能性が少なくやめましたね。

今の時代に新卒で就活をしたら、全然違う選択をしていたと思います。

転職の背景と環境省での日々

ーーー環境省への転職にはどのような思いがありましたか?

もともとClimate Youth Japanの活動などを通して、環境省の方とお話する機会が多く、自分も働いてみたいという思いを持っていました。

たまたま、国家公務員を目指す同僚がいたので、一緒に働きながら勉強を始めたのです。

そして、国家公務員試験に合格し環境省へ転職しました。

―――環境省ではどのようなお仕事をしていましたか?

ちょうど横浜に誘致したIPCCの総会のタイミングで、そのための準備や資金供与した環境研究を行う研究者のフォローアップなど多様な業務を行っていました。

1年間は霞が関を駆け回っていましたね。

しかし、激務により、1年で体調を壊してしまい休職をしました。

復職後は、霞ヶ関を離れて地方事務所になりました。

総合職の地方事務所には管理職で赴任することが通例な中で、私のポジションは係員だったため、霞ヶ関では味わえない出張を毎月繰り返し、数多くの現場を見れました。

ーーー環境省から現職への転職はどんな背景がありますか?

体調が回復しきらなかったこともあり、在宅勤務ができる職場を求めて転職を行いました。

この転職では、環境問題に関わるというよりは体調を考慮した転職ですね。

環境啓発はすでにやりつくした

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