今回は、人道支援に関心を持ち、それに貢献するために動き続けるWFP職員の並木愛さんにお話を伺いました。

自由に動き続けた学生時代、その中で気づいたことと今との繋がり。

また、国連職員になるまでのキャリア形成についてお話し頂きました。

国連で働くことに興味のある方、必見です!

プロフィール
並木 愛(なみき あい)

1989 年千葉県生まれ。アフリカ・スーダン在住。
世界最大の人道支援組織、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)にてジェンダー・受益者保護チームのリーダーを担当。
法政大学在学中に全国自転車旅や東日本大震災のボランティア活動をした経験から地域の伝統文化の保存と復興・人道支援に興味を持ち、イタリアで文化遺産保護、日本で国際協力を学ぶ。
2013年卒業後、イギリスのロンドン政治経済学院(LSE)修士課程にてソーシャルビジネスを専攻。
在学中、インドTATAのCSR部門インターンとしてスラムで小規模起業家のニーズ調査に携わる。
卒業後、デロイトトーマツコンサルティングに経営コンサルタントとして入社。
2年半で10社以上の官公庁と民間企業の戦略立案プロジェクトに参画した後、2017年にかねてからの目標「問題の現場で復興・人道支援分野のプロになること」を叶えるため、国連ボランティアとしてアフリカ・ジンバブエの国連WFPに参加を決意。
食糧ニーズ調査・分析官として勤務中、JPO制度に合格し3年間ルワンダ事務所に勤務。
2021年正規職員登用試験に合格しスーダン事務所に赴任。
国内各地を飛び回り難民等への緊急食料支援に携わっている。

現在の活動

ーーー現在の活動について教えてください。

現在は、国連WFPの職員として、スーダンで食糧支援活動に携わっています。

その中でもジェンダー・受益者保護官として、特に立場の弱い女性や子ども、障がいのある方々が安全に、確実にWFPの支援にアクセスできることを保証することが私の役割です。

近年、WFPでは食糧を配給する代わりに現金などを配り、地元商店で食品を選んでもらう方法を積極的に導入しており、今はその事業に絡んだ活動にも携わっています。

*国連WFP:国連世界食糧計画。国際連合の一機関。緊急時に命を救い、食料支援を通して、紛争や災害、気候変動の影響から立ち直りつつある人びとのサポートを行っている。

ーーーお金を配布をされていることは知らず、とても驚きました。

そうですよね。

受益者の銀行口座へ送金するほか、紙の食糧引換券、写真や指紋認証を組み込んだ食糧引換券(電子バウチャー)、携帯端末を通じて送金することもあります。

 現金支給なら、各家庭が必要とする食材を必要な時、必要な分だけ新鮮な状態で入手できます。

受け身にならず、自分で何を食べるかを決めることは、自立の第一歩です。

例えば、スーダンではまだ女性の地位が他の国に比べて低い状況です。

このようなスーダンの現状を変えるには、女性自身が生活の中で意思決定のできる機会を増やすことが1つの方法で、それが現金配布です。

食事作りを担うことが多い女性に支給すれば、女性の地位向上も期待できます。

他にも、お金を持つ人が増えることで買い手が増加し、地域経済の成長が促され仕事も増えるというメリットもあります。

ーーー並木さんは具体的にどんなことをされていますか?

今一番力を入れていることは、WFPの運営する「お客様相談センター(コールセンター)」の立ち上げです。

国連では比較的新しい現場密着型の取り組みで、受益者の中でも特に立場の弱い方々へのサポートの一環です。

現在のスーダンでは、難民や避難民を含む約1千万人の方々に支援を届けており、彼らには無料の電話相談の番号が伝えられています。

その電話を通じて直接受益者の声を聞き、活動の改善につなげています。

センターでは様々な地方言語を話す現地スタッフがオペレーターとして活躍しており、私はそのチームのとりまとめも行っています。

「支援をして終わり」ではなく、サポートしている方々から継続的に生の声を得られる貴重な機会だと、日々感じているところです。


社会課題への関心

ーーー初めて社会問題に関心を持ったきっかけは何ですか?

14歳の時に「淳」という本を読んだことです。

これは、1997年に14歳の少年が起こした神戸連続児童殺傷事件の被害者の男の子の父親によって書かれた本で、2つの点で印象的でした。

1つは、同い年の子どもが人を殺すほどのストレスを抱えて生きている社会があると気づいた衝撃。

もう1つは、人生の中でいつ、何が起こるか分からないと実感したことです。

本の中で、子どもを失ってから父親の人生が大きく変わってしまったことを知り、その悲しみの深さに心を打たれました。

この本を読んで、何事も他人事として考えずに、自分ごとに考えて行動できる人間でありたいと思いました。

ーーー学生時代は、社会課題に関わることを意識されていましたか。

客観的に見たら、意識していたと思います。

ただ、私としては「やりたい」気持ちに従って自由に行動していました。

大学では国際協力について学んでいましたが、好奇心が強いのと、人聞きではなく実際に現場を見て初めて納得できるタイプのため、現場を見たいと常に思っていました。

その気持ちから、実際に足を動かす経験を多く積んだと感じます。

タンザニアやバングラデシュ・インド・モロッコを数ヶ月かけてバックパッカーとして周りホームステイをしたり、サイクリング同好会で仲間と共にキャンプをしながら自転車で日本中を駆け回ったりしていました。

ーーーかなり幅広く活動されていますね。

当時は、視野を広げたいという気持ちがありました。

大学生になるまでは、海外に行ったことはほとんどありませんでしたし、一般的な家庭で育ってきたと思います。

しかし、大学では高校時代に海外留学をした人や突拍子もない行動力を持った人に出会い、自分自身が井の中の蛙だったと痛感しました。

そんな環境の中で、自分の中でのハードルがぐっと下がり興味を持てばどんなことでも挑戦していました。

ーーー学生時代の印象的な経験は何でしょうか?

大学4年生の時に参加した東日本大震災のボランティアです。

実は、震災が起きた時は北インドで登山をしていたんです。

しかし、お茶屋さんのテレビ画面で映されていた宮城県の気仙沼は自転車旅でお世話になった方がいる思い入れの深い場所だったのでとてもショックで、何かできることはないかなと思い即座に帰国しました。

その翌週から「避難所でのニーズ調査担当」としてボランティアチームに参加させてもらいました。

ーーー震災ボランティアの経験を通じて感じたことは何でしょうか?

2つあります。

1つ目は、人生の中ではいつ何が起こるか分からないことです。

災害や紛争などによって、急に人生が終わってしまうかもしれない。

だからこそ、今を精一杯生きないといけないと実感しました。

2つ目は、災害などで日常の全てを失ってしまい、最も辛い立場にいる方々がすこしづつ立ち上がって前を向き、歩き始める最初の段階をサポートをする仕事に携わりたいと強く思ったことです。 

大学に入ってから、やりたいことが見つからなかったのですが、震災の復興ボランティアを通じて人道支援を体験し、何か「ビビッ」と来るものがありました。


留学を通じた経験

ーーーその後、留学をされたのはなぜでしょうか?

就職までに、もう少し考える時間が欲しかったことと、留学することは昔からの夢だったからです。

大学3年生は就職活動の時期にあたりますが、社会でしたいことを考える時間が足りないなと思いました。

加えて、周囲の休学や留学をした人の話を聞いて、5年間大学に行くことにより就職が遅れるデメリットよりも、自分にとってはメリットのほうが格段に大きいと感じたからです。

ーーー留学先と選択した理由を教えてください。

イタリアのヴェネツィア大学で文化遺産修復学を勉強しました。

選択した理由は、世界の美しい風景や伝統文化を後世に残すことに強い興味があったからです。

叔母が結婚してイタリアに移住したこと、実家がイタリア料理店だったことがあり、イタリアを身近に感じて育っていました。

その中で、大好きな作家の辻仁成さんのフィレンツェを舞台にした映画『冷静と情熱のあいだ』を見て、改めて街の美しさ、それを継承する地域コミュニティの強さに興味を抱きました。

そこから、世界遺産の街の中心でコミュニティの一員になりながら勉強がしたいと思うようになりましたね。

ーーー留学中はどのような経験をしましたか?

1年間の滞在中、大学での授業や生活も印象深いですが、印象に残っているのはモロッコでの滞在経験です。

私が滞在していた女子修道院を改装した学生寮に滞在していた人のほとんどがイタリア人学生で、クリスマス期間はみんなが帰省するので閉鎖されました。

そこで、クリスマスの間に安く滞在できる場所を探していた時、イタリアから一番安く行ける国の一つ、モロッコにある世界遺産の近くにある砂漠のオアシスの村、ウルウイ村を知りました。

キリスト教のコミュニティに浸かっていたので、せっかくならクリスマスのないイスラム教の国、それも地方の村の生活を体験してみたいと思ったのです。

ウルウイ村には収入向上や地域の活性化のため、ホームステイプログラムを行う青年海外協力隊の方がいたので、急遽連絡をとって数日お世話になりました。

最初は、世界遺産への訪問ついでに訪れた村でした。しかし、地元の方と生活する中で、現地の方と同じように土壁の家に住み、ハマムと呼ばれる村の銭湯で背中を流し合う素朴な暮らしが居心地のよいことに気付いたのです。

一方で、その村はモロッコ国内で2番目に貧しい村で、家族に食べさせるために苦渋の選択で出稼ぎのため村を去る人を見て「私に何かできることはないのかな」と感じていました。

*青年海外協力隊:現在のJICA海外協力隊

ーーー大学院でソーシャルビジネスを専攻されたことにも繋がるのですか?

そうですね。

モロッコでの経験を経て、自分は美しい文化遺産を守ることにも興味はあるけれど、それよりも途上国などの現場で人の生活や命を守ることに貢献したいのだと気づきました。

帰国後、大学卒業後の進路として、JICA海外協力隊を受験して合格をいただきました。

ただ、それまでは足を動かした活動が多く、腰を据えて問題の根本原因や解決策に向き合って学んでこなかったと感じて、学生ローンやアルバイトでためたお金で大学院に進むことを選択しました。


ファーストキャリアについて