『日本の人事部 人事白書2022』によると、越境学習の取り組みを「重要だ」「やや重要だ」と答えた企業は、合わせて78.1%でした。
同じ調査で「取り組みを行っていない」と答えた企業は52.7%です。
大事だと思われながら、回答した企業の半数以上ではまだ始まっていません。
参考:『日本の人事部』編集部(2022年)人事白書調査レポート2022
「越境学習」という言葉は、人事の資料や研修の案内で見かけるものの、どこからどこへ越えることなのかが、はっきりしないまま使われがちです。
言葉の出どころと中身が分かると、自分の会社の制度や社外のプログラムを見る目が変わります。
この記事では、越境学習の意味と効果、具体的な形、社会課題の現場との関わりを解説します。
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越境学習とは
越境学習とは、個人にとって居心地のよい慣れた場所であるホームと、居心地が悪く慣れない場所だがその分刺激に満ちているアウェイとを往還することによる学びです。
この一文は、2022年3月に日本能率協会マネジメントセンターから出た『越境学習入門―組織を強くする「冒険人材」の育て方』の紹介文にあります。
著者は、法政大学大学院政策創造研究科教授の石山恒貴氏と、株式会社ビジネスリサーチラボ代表取締役の伊達洋駆氏です。
石山氏は2024年の論文で、自身の2018年の著書『越境的学習のメカニズム』を引いています。
そこでの定義は、自らが「準拠している状況」と「その他の状況」を分ける境界を往還し、そこから学びを得ること、というものです。
「準拠している状況」は日常的に自分が属している社会空間で、雇用されている組織や職場が当てはまります。
参考:『越境学習入門』の書誌情報、石山恒貴(2024年)「サステナブルキャリアに基づく能力開発とキャリア形成の個人視点からの再検討」『日本労働研究雑誌』No.763、30〜39ページ
越境学習という言葉が広がるまで
日本で越境学習に先鞭をつけた研究は、荒木淳子氏が2007年に発表した論文でした。
その後、中原淳氏が2012年の著書『経営学習論―人材育成を科学する』で、職場学習や経験学習と対置して、越境学習という用語を明確に定義しました。
つまり、越境学習は一人の提唱者がつくった言葉ではなく、複数の研究者が十数年かけて形にしてきた概念です。
ホームとアウェイ
ホームとアウェイは、地理的な場所ではなく、その人の感じ方で決まります。
石山氏は2024年のインタビューで、ホームを、長く勤めている会社のように安心できるが刺激がなくなってしまう場だと説明しています。
一方のアウェイは、見知らぬ人がいて、いつも使っている言葉や用語が通じない居心地の悪い場所です。
その代わり、刺激を受けられる場でもあります。
参考:WORK MILL(2024年11月28日)石山恒貴氏インタビュー
違和感と、二度の葛藤
越境学習で鍵になるのは、うまくいった感覚ではなく、うまくいかない感覚のほうです。
『越境学習入門』の紹介文は、越境学習者はアウェイで違和感を抱き、葛藤や無力感、もどかしさを味わうと書いています。
それを乗り越えると、前提を疑い、不確実な状態に耐えられるようになります。
葛藤が起きるのは、アウェイにいるときだけではありません。
共著者の伊達洋駆氏によると、越境中の葛藤は、アウェイの慣れない環境に洗礼を受けることです。
越境後の葛藤は、これまで当たり前だったホームの慣習に違和感を覚えることです。
行って帰ってくる二度の場面で、それぞれ別の揺さぶられ方をするわけです。
石山氏は、知識と情報だけを獲得してアイデンティティに何ら変容がない場合は、越境学習としては不十分だと指摘しています。
参考:伊達洋駆(2022年9月16日)越境学習の効果と有効な支援方法
越境学習とリスキリング・研修・留学・副業の違い
似た言葉が並ぶ領域なので、何を指しているのかを一度整理しておきます。
| 言葉 | 何を指すか | 越境学習との関係 |
|---|---|---|
| 越境学習 | ホームとアウェイを往還することによる学び | — |
| リスキリング | 新しい職業や、大きく変わる職業のために必要なスキルを獲得すること | 目的が異なる。越境学習は場の移動、リスキリングはスキルの獲得 |
| 社内研修 | 自社が用意した場で、決められた内容を学ぶこと | ホームの中で完結するため、往還が起きにくい |
| 留学・サバティカル | 一定期間職場を離れて学ぶこと | アウェイへ行く形のひとつ。伊藤レポート2.0は社外での学習機会として整理 |
| 副業・兼業 | 本業とは別の仕事を持つこと | 石山氏は、個人が自発的に行う越境学習のひとつと位置づけている |
表のリスキリングの意味は、2021年の経済産業省の検討会にリクルートワークス研究所が提出した資料によるもので、政府が定めた定義ではありません。
それでも、軸の違いははっきりしています。
リスキリングが「何を身につけるか」を問うのに対して、越境学習は「どこで学ぶか」を問います。
リスキリングという言葉の出どころや、使える国の支援制度については、別の記事で詳しく整理しています。
≫リスキリングとは?意味やアップスキリング・リカレント教育との違い、企業の取り組み方を解説
副業と越境学習の関係にも、石山氏は論文で踏み込んでいます。
副業は個人の意思で行われるため、個人が自発的に行う越境学習に該当する、という整理です。
企業が越境学習に注目する理由
越境学習に取り組む企業は、社員が職場を離れる時間とコストを引き受けることになります。
それでも重要だと考える企業が8割近くにのぼる一方で、実際に取り組んでいる企業の割合は半数に届きません。
企業が期待していること
企業側の狙いとして石山氏の論文が挙げるのは、社員が外部の知識と情報を獲得し、それを自社の変革に活かしてほしいという意向です。
ただし、これは断定ではなく研究者の解釈として書かれているため、効果が実証されたという話ではありません。
企業の中で社会課題に向き合う働き方の広がりは、以下の記事で扱っています。
≫民間企業で社会課題解決に関わるには?CSR・サステナ・ソーシャルビジネスの違いと選び方
企業はどこまで取り組んでいるか
『日本の人事部 人事白書2022』は、人事向けメディア『日本の人事部』を運営する株式会社HRビジョンが、同メディアの正会員を対象に行った調査です。
2022年3月7日から3月31日にかけて実施され、5,200社・のべ5,441人から回答を得ています。
越境学習の取り組みを「重要だ」と答えた企業は37.9%、「やや重要だ」は40.2%でした。
一方で、「取り組みを行っていない」は52.7%です。
実施している内容の上位は、「他社への出向・移籍」が24.5%、「副業(社外)」が16.0%、「他社での一時的な業務経験」が13.8%でした。
人材版伊藤レポート2.0での扱い
経済産業省は2022年3月に、「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書~人材版伊藤レポート2.0~」を公表しました。
報告書には、社員の学びと働き方をめぐる取り組みが複数並んでいます。
「社外での学習機会の戦略的提供(サバティカル休暇、留学等)」では、職場内の学習機会だけでは学習時間や専門性が足りない場合がある、と指摘しています。
「副業・兼業等の多様な働き方の推進」では、副業・兼業による知識・経験等の蓄積は、中長期的には自社にとって有益なものとなる、と書かれています。
報告書は「越境」という語を使わないまま、社員を社外へ出す仕組みを並べています。
越境学習の具体的な形
越境学習は、ひとつの決まったプログラムを指す言葉ではありません。
石山氏は論文で、越境学習を、組織が人材育成の一環として行うものと、個人が組織の意向とは関係なく自発的に行うものの2種類に整理しています。
社外への派遣・留職
社外への派遣は、会社に籍を置いたまま、一定期間だけNPOやスタートアップなどへ移って働く形です。
副業・兼業
副業・兼業は、本業を続けたまま、社外にもう一つの仕事を持つやり方です。
厚生労働省は「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を2018年1月に策定し、2020年9月と2022年7月に改定しています。
最新は2022年7月8日の改定版です。
労働時間や健康管理のルールを整理したもので、始める前に自社の就業規則と合わせて確認できます。
社内・グループ内での越境
社内・グループ内での越境なら、他部署との兼務や別プロジェクトへの参加から始められます。
伊藤レポート2.0は、この取り組みによって、社員が今の所属部門の外にある業務の広がりに視野を広げることが可能となる、としています。
プロボノ・ボランティア
プロボノ・ボランティアは、勤務時間外に、自分の職業上のスキルを使って団体を手伝う関わり方です。
会社の制度を待たずに始められるので、無償の活動から踏み出す進め方を知っておくと動きやすくなります。
フリーランスや副業まで含めて個人での関わり方を比べたいときは、次の記事が参考になります。
≫社会課題解決に個人で関わる方法とは?フリーランス・副業・プロボノ・ボランティアの選び方
参考:厚生労働省 副業・兼業
社会課題の現場で越境学習をする
アウェイの行き先として、社会課題に取り組む団体が選ばれることが増えています。
石山氏が例に挙げているのが、経済産業省「未来の教室」のリカレント教育ワーキンググループです。
多くの越境学習事業者が参加し、「社会課題の現場への越境プログラム」に関する提言をまとめた場です。
受け入れ側であるNPOの仕組みを知りたいときは、以下の記事が前提の整理になります。
≫NPOとは?意味・種類・会社との違い・働き方をわかりやすく解説
特定非営利活動法人クロスフィールズ「留職プログラム」
留職プログラムは、社会課題に取り組む国内外のNGOやスタートアップに飛び込み、本業のスキルと経験を活かして課題解決に挑むプログラムです。
新興国への派遣は3か月から12か月、国内への派遣は6か月から12か月です。
累計の参加者は2024年8月までで296人、2025年9月の時点では300人を超えました。
パートナー団体は、他のプログラムの派遣先も含めて149団体、活動国は日本を含む12か国が挙がっています。
参考:特定非営利活動法人クロスフィールズ 留職プログラム、データで見る留職のリアル
認定NPO法人サービスグラント
サービスグラントは、プロボノを仲介する団体です。
プロボノは、ラテン語の「Pro Bono Publico」を語源とする言葉です。
社会的・公共的な目的のために、職業上の経験やスキルを活かして取り組む社会貢献活動を指します。
累計では、プロボノワーカーの参加が6,700人以上、プロボノ支援の実績が2,300件以上にのぼります。
いずれも2024年度までの集計です。
参考:認定NPO法人サービスグラント プロボノとは、数字で見る
特定非営利活動法人二枚目の名刺「サポートプロジェクト」
サポートプロジェクトは、さまざまな業種・職種の社会人がチームを組み、NPOなどの団体とともに、その団体の事業推進に取り組む有期のプロジェクトです。
社会人チームは5人程度で、期間は3か月から4か月です。
二枚目の名刺は2024年10月9日、越境プログラムを、選抜された一部の企業人だけでなく、意思を持って手を挙げれば参画できるものにしていく方針を示しました。
参考:特定非営利活動法人二枚目の名刺 サポートプロジェクト、二枚目の名刺のこれからについて(2024年10月9日)
越境学習がうまくいかないとき
越境学習は、送り出す側にも本人にも負荷がかかります。
人手の確保、効果の見えにくさ、形だけの実施という3つが、つまずきやすい点です。
送り出す側の負担
『日本の人事部 人事白書2022』で、取り組んでいない理由の上位は「本業がおろそかになる」が36.7%でした。
「上層部が認めてくれない」が24.7%、「従業員が希望しない」が20.2%と続きます。
伊藤レポート2.0も、サバティカル休暇や留学を推進した場合、社員の不在中の人材の確保が課題となる、と書いています。
報告書は、その一助として短時間正社員や兼業・副業者の受入れを検討する、と提案しています。
効果が測りにくい
越境学習の成果は、アイデンティティの変容という言葉で語られます。
数字にしにくい変化であるため、投資に対する効果を示しにくいという事情があります。
企業向けの調査から分かるのも、重要だと考えているかどうかと、実施しているかどうかまでです。
形だけの越境になってしまう
石山氏は論文の考察で、企業が家父長制的な考え方で越境学習や副業を実践すると、従来の能力開発と変わらなくなる可能性がある、と指摘しています。
会社が決めた相手に、会社が決めた期間だけ行かせる形では、個人の意思が入る余地が小さくなるという趣旨です。
副業の研究には、2つの役割の葛藤と制約をうまく制御できないと、自分の資源を使い果たす枯渇のメカニズムが働くという指摘もあります。
副業やプロボノなど個人で社会課題に関わる方法を選ぶ前に、自分の時間と体力の配分を決めておきたいところです。
越境学習を通じて社会課題に関わる
社会課題の現場は、越境学習の行き先であると同時に、自分のキャリアを考え直す場にもなります。
COCOCOLOR EARTHのインタビューに登場した荒井昭則さんは、ITベンチャー企業で働いています。
同時に、副業としてNPO法人コンフロントワールドの代表理事を務めていると話しています。
NPOは市場原理ではないアプローチで社会課題の解決を目指す組織だ、というのが荒井さんの整理です。
一方の民間企業は、市場経済の中で事業を拡大させながら社会を変えていく組織だという見方です。
その両方の側面から社会課題にアプローチできる人間になりたいと考えて、今の働き方を選んだそうです。
≫ケニアでの原体験から、NPO代表とITベンチャーの二足のわらじへ ~NPO法人コンフロントワールド 荒井昭則さん~
どの分野のアウェイへ行くかを迷ったときは、分野ごとの入口を並べて比べてみる方法があります。
≫社会課題ごとのキャリアロードマップまとめ!10分野の特徴と自分に合う選び方
職種の側から考えたい場合は、社会課題解決を仕事にする10職種を見渡すと、自分のスキルの置き場所が見えてきます。
行き先の候補を探す段階では、ココキャリアに並ぶ企業の事業内容が、下調べの参考になります。
よくある質問
越境学習の意味や始め方について、読者からよく挙がる疑問を4つ取り上げます。
Q. 越境学習とは何ですか?
A. 越境学習とは、個人にとって居心地のよい慣れた場所であるホームと、居心地が悪く慣れない場所だが刺激に満ちているアウェイとを往還することによる学びです。石山恒貴氏と伊達洋駆氏の2022年の著書『越境学習入門』の紹介文に、この説明が載っています。石山氏は2024年の論文で、自らが準拠している状況とその他の状況を分ける境界を往還し、そこから学びを得ることと定義される、と書いています。知識と情報を得るだけで自分に変化がない場合は、越境学習としては不十分だという指摘もあります。
Q. 越境学習とリスキリングは何が違いますか?
A. リスキリングは、新しい職業や大きく変わる職業のために必要なスキルを獲得することで、何を身につけるかに重心があります。越境学習は、ホームとアウェイを行き来することによる学びで、どこで学ぶかに重心があります。そのため、越境した先でリスキリングが起きることもあれば、講座で学ぶだけで越境が起きないこともあります。石山恒貴氏は2024年の論文で、副業を、個人が自発的に行う越境学習のひとつと位置づけています。どちらか一方を選ぶ関係ではありません。
Q. 越境学習にはどんな形がありますか?
A. 会社に籍を置いたままNPOなどへ移る社外派遣や留職、本業と別の仕事を持つ副業・兼業、他部署との兼務から始める社内での越境、留学やサバティカル休暇、職業上のスキルで団体を手伝うプロボノなどがあります。石山恒貴氏は2024年の論文で、越境学習には組織が人材育成の一環として行うものと、個人が自発的に行うものの2種類があるとしています。副業を始める前には、厚生労働省のガイドラインと自社の就業規則を確認してください。
Q. 越境学習にはどんな課題がありますか?
A. 『日本の人事部 人事白書2022』では、取り組んでいない理由の上位に、本業がおろそかになるが36.7%、上層部が認めてくれないが24.7%、従業員が希望しないが20.2%と並びました。人が抜けた間の仕事をどうするかという課題もあり、人材版伊藤レポート2.0は不在中の人材の確保を論点に挙げています。石山恒貴氏は、会社が主導しすぎると従来の能力開発と変わらなくなる可能性があると指摘しています。効果を数字で測りにくい点も、導入の壁になります。
まとめ
越境学習は、ホームとアウェイを往還することによる学びで、行くときと帰るときの二度、違和感に揺さぶられるところに特徴があります。
まず開いてみたいのは、自分の会社の就業規則です。
社外派遣や副業が認められているなら、そこが一番近いアウェイへの入口になります。
制度がなければ、プロボノのように個人で始められる関わり方から試す道もあります。
行き先を選ぶときは、自分が言葉に詰まりそうな現場を選ぶと、狙いに近づきます。
居心地の悪さは、失敗ではなく学びが始まった合図として受け取れます。
どんな現場が自分にとってのアウェイになりそうか迷ったら、ココキャリアで企業の取り組みを分野ごとにのぞいてみてください。
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この記事の監修者
吉田宏輝
COCOCOLOREARTH代表、社会活動家。
COCOCOLOREARTHでは、社会課題解決を軸にした就職・転職活動を支援するインタビューメディアの代表として、100人以上の社会活動家にインタビュー、記事執筆やイベント登壇などを行う。
