NPO・NGO 活動家インタビュー

バングラデシュの路上から、社会を動かすロールモデルをつくっていく#1〜NGOエクマットラ渡辺大樹さん〜

バングラデシュで18年にわたりストリートチルドレンの支援や啓発活動を行うNGOエクマットラ。今回は、団体の共同代表を務める渡辺大樹さんにお話を伺いました。

バングラデシュの地に一人飛び込み、地域の方々と協力して活動を続けている渡辺さん。

第一弾では、団体の主な活動内容や設立当初に苦労したこと、そして活動を継続していく中で見えてきた変化についてをお届けします。

経歴


  • 1980年宮城県生まれ

    神奈川県育ち。大学時代はヨット部に所属。ヨット国際大会出場のため訪れたタイ・プーケットでストリートチルドレンの男の子と出会う。そのときの衝撃から、抑圧された子どもたちの問題解決のためにバングラデシュへ単身渡航。


  • 2003年にダッカ大学に入学し4年間在籍

    同年、在学中に出会った仲間たちとNGOエクマットラを立ち上げる。バングラデシュ出身のシュボシシュ・ロイ氏と共同代表として活動を指揮。青空教室やチルドレンホーム、アカデミーの運営、映画制作を通じた啓発活動などを精力的におこなっている。


  • 2010年内閣総理大臣奨励賞「人間力大賞」受賞

  • 2013年に収益事業を組織化するため、エクマットラが実質100%株主となるエクマットラアントレプレナーズ株式会社を設立

    代表取締役社長に就任した。


 

活動内容について

ーーーまずはエクマットラの活動内容について教えていただけますか。

私たちは、3つのステップを通してバングラデシュのストリートチルドレンに直接的な支援をしています。

1つ目は、青空教室を通じた教育提供と、路上生活をする子どもたちのプロファイル作り。

2つ目は、過酷な状況にいる子どもたちのレスキューと、保護された子や学ぶ意欲のある子どもたちが共同生活をするチルドレンホームの運営。

そして3つ目が、教養を身につけ社会性を伸ばすための全寮制アカデミーの運営です。

これらの活動を通して子どもたちが成長し、彼らが得た機会を次の世代に還元していく好循環をつくること。それがエクマットラの活動理念でもあります。

すでに青空教室やチルドレンホームの責任者、運営スタッフの中にはエクマットラの卒業生もいます。

ーーー活動を始めた当初、大変だったことは何ですか。

立ち上げ当初は、まだダッカの大学生だったので、実績のない私たちが「青空教室を開きたい」と伝えても、全く話を聞いてもらえませんでした。

訪ねた地域は、性労働や麻薬の密売、子どもたちへの運び屋の斡旋をするような人たちが多い場所です。

私はバングラデシュに来て8カ月程度だったので、ベンガル語で繊細な表現ができず、性労働をしている女性にストレートな質問をして怒らせてしまうこともありました。

するとその地域の元締めの人が来て、「おまえは何者だ。何しに来た」「子どもを誘拐して人身売買するんだろう」と言われました。

徐々に人が集まって取り囲まれ、誰かが少しでも手を出したらリンチされてしまいそうな雰囲気になったこともあります。

ーーーすごい緊迫感ですね。

「もう二度と来るな」とすごまれ、正直なところ恐怖心もありました。

しかし、やめてしまえば活動を始めた意味がありません。

それで、翌日「また来ちゃいました!」と明るく訪問しました。

相手にされなくても、とにかく毎日顔を見せることが大切だと思い、通い続けました。

次第に私たちを見る目が変わり、彼らの状況や背景について心を開いて話してくれました。

少しずつ信頼関係をつくり、青空教室を開くことに賛同を得られたのです。

最初は遠巻きに見ていた人たちも、子どもたちが目の色を変えて授業に参加する姿を目の当たりにし、徐々に信頼してくれるようになりました。

翌2004年にチルドレンホームを設立し、さらに変化していく子どもたちを見て「次は私の子どもを連れて行って」と言ってくれる親御さんも増えました。

今は地域の方たちとの絆もできて、問題が起きそうになるとサポートをしてくれる大きな味方になっています。

ーーー途中で親が子どもを連れ戻すような事例はありませんでしたか。

表向きは「子どもを愛しているから」と言いながら、働き手が必要になって連れ戻しに来る人もいましたね。

そのときは、子ども自身やスタッフが説得をしたり、家族の経済状況が向上するようにサポートをしていました。

それでも納得してもらえず、路上に戻った子もいます。

その子が大きくなって、少し悲しげな顔で青空教室を見ている姿に、「あのとき引き止められなくて申し訳ない」と思うこともあります。

ーーーそれぞれに背景が違いますから、うまくいくケースばかりではないですよね。

そうですね。

ストリートチルドレンが数十万人いると言われる状況で、全ての子どもを繋ぎとめることは難しいです。

だからこそ、私たちは、前例となるロールモデルを育てていきたいのです。

どんな境遇で生まれようと、「本気でチャンスを掴みたい」と思い行動すれば、何にでもなれる。

それを証明したいし、実際に証明してくれている子たちが何人もいます。

成長した彼らが今、自分の言葉で子どもたちに語ってくれています。

それが18年間活動を続けてきた財産だと思いますね。

卒業生にとっても、多くの苦しみを乗り越えてきた経験を語り、誰かの役に立つことで、自分の人生を肯定できるようになります。

双方向にいい影響が生まれ、そのサイクルを続けることで社会が変わっていく。

それを今まさに実感しているところです。

アカデミー建設までの道のり

ーーーアカデミーの構想から完成までの経緯を教えてください。

ダッカでチルドレンホームを始めて1年半ほど経った頃、「この場所で本当に豊かな人間性は育つのか」という疑問が沸きました。

ダッカは人口が密集する大都市で、他者を押しのけてでも自分を優先するような競争社会です。

学問を身につけられても、他者への慈しみや自然への畏敬の念、母国や自分のルーツに対する愛情、柔軟な思考や文化的な素養など、人間として本当に大事な要素が育たないのではないかと思いました。

やはり大自然の中で季節の移ろいを感じたり、動物や野菜を育てたりする経験が必要だと痛感し、そこからアカデミーの構想が生まれました。

ーーー2005年からすでに構想があったのですね。

はい。その後、資金作りのために映画制作に取り組み、「アリ地獄のような街」という映画を2009年に完成させました。

日本とバングラデシュで上映し、多くのサポートをいただいたおかげで、ダッカから170kmほど離れた場所に念願の土地を購入できました。

また、バングラデシュの著名な建築家が、私たちの活動理念に共感し、無料でアカデミーのデザインを引き受けてくれました。

さらには、活動当初から応援してくれていた銀行財団の会長が、アカデミーの構想と建築デザインを見て、資金援助を申し出てくれたのです。

最初は「建物一棟分を支援する」と言ってくださって、話を続けるうちに熱が入り、最終的に建物全体の建築費を出すという話になりました。

そのときは信じられないほどの驚きと喜びと‥‥いろんな感情が湧き上がりましたね。

なんとか気持ちを抑えてエレベーターを降りて、ビルの外に出た瞬間に、「やったぞー!!!」と共同代表と二人で叫びました。

ーーー起工から開校までに8年間かかったのはどんな背景があったのでしょうか。

最初は2010年に起工式をして、2012年頃には完成の予定でした。

しかし、工事業者とのトラブルや建築資材の高騰など多くの問題が相次ぎ、工事が遅れて建築予算が約2倍に膨れ上がりました。

何千万という大金をすぐには集められないので、収益事業で得たお金をつぎ込んでは、少し工事を進める、という繰り返し。

どれだけ進めても支払残高が減らず、悪夢のような状況が2年くらい続いていました。

周りからも「普通だったら人生辞めてるよ。よくまだ生きてるな」なんて言われて。

ーーーそのときはどうやって精神を保っていたのですか。

大変な状況でも自分たちが歩みを止めない限り、いつかは開校できると信じていました。

とにかく「目の前にいる子どもたちを支えなければ」という責任感と、彼らがアカデミーでのびのび育っているイメージをしっかりと持ち、なんとか精神を保っていましたね。

最後の打開策として、日本の皆さんに後押しをお願いするため、クラウドファウンディングに挑戦しました。

1カ月半で目標の3倍近くの金額が集まり、ようやく開校にこぎつけることができました。

無事に開校した今、自分たちが思い描いてきたことは間違っていなかったなと実感しています。

子どもたちが自然の中で発散しながら、自分と向き合い、他者への思いやりも学べる素晴らしい場所ができました。

次回予告

紆余曲折ありながらも、目の前の子どもたちのために必死に活動を続けてこられた渡辺さん。

次回は、子どもたちとの関わりで心がけていることや、渡辺さんご自身が葛藤しているお話についても掘り下げていきます。

鋼鉄の心をほどいて、強さと優しさをあわせ持つリーダーへ#2

ライタープロフィール

安果(やすか)
発達障がい児支援士。フリーライター。
過去に保育施設コンサルの営業、マッサージセラピスト、コピーライター、旅行業などを経験。
2011年から国内外の孤児院やNGO団体、戦争跡地、フェアトレードタウンなどを巡る。
海外放浪・就労を経て2021年より地元愛知にUターン。

-NPO・NGO, 活動家インタビュー