NPO法人Stand with Syria Japan(SSJ)でのシリア支援を始め、認定NPO法人very50で若者に対する問題解決プログラム提供など多方面に活躍されている杉谷さん。
今回は、国際協力に興味を持ったきっかけから、学生時代の経験、マザーハウスやvery50での就職に至るまでのキャリアステップついて迫っていきます。
杉谷遼(すぎたにりょう)
開成高校→東京大学工学部→東京大学大学院国際協力学専攻→株式会社マザーハウス→認定NPO法人very50 General Manager/ NPO法人Stand with Syria Japan理事
幼少期に当時途上国と言われていたタイを訪れ、高層ビルの近くで物乞いをする人々を見て世界の広さを実感。それ以後、世界と関わる仕事がしたいという思いを持ち続ける。高校3年生の時に東日本大震災を経験し、自らが立ち上げた学生団体で募金活動を実施し300万円の募金を集めたことをきっかけに、自らのアクションを通して世界を変えていけることを感じ、国際協力を仕事にすることを決意。
大学時代には、工学の観点から途上国のインフラに関する研究を、大学院時代にはインフラではカバーできない途上国の人々の生活やコミュニティのもつ災害への対応力に関して研究。修士論文で専攻長に表彰を受ける。社会課題のために、命を燃やす社会起業家の力になりたい、これからの社会、世界を担う若い世代の教育に関わりたいという思いで認定NPO法人very50に就職。
また、自らが国際協力の実行者として、国際社会の闇となっているシリア危機の問題を解決するため、NPO法人Stand with Syria Japan理事として活動中。
人生のターニングポイントについて
ーーー国際協力に興味をもったきっかけは何ですか?
中学生のとき、両親の社員旅行で連れて行ってもらったタイでの経験です。
スラム街で物乞いをする子どもたち、それとは反対に発展しているビル群がそこにありました。
そうした風景は日本で絶対に見れない光景だったので、漠然と国際協力に関心を持ち始めました。
ーーー高校生で行っていた活動があればお聞かせください。
自分が国際協力を仕事にしたいと考え始めたのは高校生の時です。
高校2年生の時に東日本大震災が起き、そのときに被災者への義援金を集めるため、募金活動を自分自身が団体を立ち上げて行いました。
もともと表立って行動する性格ではなかったのですが、東日本大震災という大きな出来事がきっかけとなり動くことができました。
この時は、勝手に身体が動き出して、気付いたら募金活動を行っていた状態です。
活動には中高の友人が賛同してくれ、合計で300万円という大金を3日間で集めて被災地に送ることができました。
この自ら行動したことで成果が生まれた経験を通じて、今まで慎重派だった自分が大きく変わり、自分が行動していくことで世界は変わるかもしれないと思い始めました。
ーーーそこで災害支援に興味をもたなかったのはなぜですか。
もちろん災害支援そのものにも興味を持ちました。(実際に大学・大学院では災害復興の研究もしています。)
ただ、自分は災害のような突発的な事象以上に、常態化している問題を解決したいと思っていたからです。
例えば、貧困は被災者のような苦しい生活が常に起きているような常態です。
こういった問題に対して、その原因とは何か、それに対する解決策は何かと解決に向けて考え、実行していくことの方に興味を持ったんです。
人生をかけてやるなら、世界を舞台に未だ解決されていない常態化している大きな課題にチャレンジしたいと思い、国際協力の道を志すようになりました。
大学時代の活動
ーーー大学ではどのような活動をしていましたか?
大学生では、今でこそ一般的ですがソーシャルビジネスでの起業やインターンなどを経験しました。
その一方で、国連やJICAのようなマクロな国際協力を学べる環境があったので、大学院進学も含めて「国際協力」を様々なレイヤーから学びました。
また、意外と言われることが多いのですが、サークルで代表をするくらい本気で遊ぶこともしてきました。
国際協力だけをしていては、知り合うことが出来なかった多様な価値観には今でも影響を受けています。
また、逆に自分が居なかったら関わることのないであろうこの業界に、何かしらの関わりを持つきっかけになっているのではないかとも思っています。
ーーー周りに杉谷さんと同じような志を持った方はいらっしゃいましたか?またその方を通じて刺激を受けた経験があればお聞かせください。
ほぼいませんでした。
逆に、自分のキャリアについてはほぼ100%理解されていない、又はそもそも知らないような状況です。
大学の同級生で言えば、大多数の方が大手企業や官公庁へ就職しています。
一部、起業やベンチャーへ就職する人もいますが、ソーシャル業界へ就職する方は本当に一握りという感覚です。
そんな中で、孤独感もありましたが、逆にそうした環境が刺激になりました。
こんなにも一般的な成功の道から外れているなら、成功したときの達成感もありますし、自分の成功に対して純粋に自信を持てるなと感じていました。
就活について
ーーー新卒ではマザーハウスに就職されましたが、1社目でマザーハウスに就職しようと思った理由を教えてください。
大学院進学までした関係で、国際協力に関わる仕事という意味では様々な選択肢がありました。
その中で、JICAや国連で働くよりももっと人々の生活に近いミクロな活動で、もし可能であれば、人やお金を動かせる裁量が早い段階で獲得できるような仕事が良いと考えていました。
理由としては、自分だけ動いても残せるインパクトに限りがあるので、人の個性を活かして協力するようなマネジメント経験を積む必要を感じていたからです。
実際マザーハウスでは、様々な挑戦をしていった結果、1年間で新ブランドの立ち上げや大きなイベントの運営、インドでの生産管理、バッグの商品開発など新卒1年目とは思えないほどのチャレンジをさせてもらい、自分の裁量をもって働く経験をさせてもらいました。
ーーーマザーハウス以外に受けていた企業はありますか?
合計で3社しか受けておらず、残りの2社は開発コンサルでした。
しかし、最終面接で役員の方に、開発コンサルの業界では50代になってようやく一人前というお話を頂き、なるべく早く裁量を持ちたいと思っている自分とは合わないと感じて、辞退をする形になりました。
転職のきっかけ
ーーーマザーハウスからvery50へ転職されたきっかけを教えてください。
実際に社会に出て仕事をする中で、自分のビジョンの解像度が上がったからというのが正直な理由です。
マザーハウスがやってることは抽象的に言うと「光を当てること」なんです。
つまり、途上国というラベルを貼られた人々の中にある素晴らしい技術、つまり「光の部分」にフォーカスをしてそれを商品という形で広めていく事です。
一方で自分が国際協力業界で本当にやりたかったことは※不可触民(Untouchable)の方々や人権侵害を受けている人々といった「闇の部分をどれだけ減らせるか」という部分であることに気づいたんです。
また、国際協力の世界に飛び込んでみて世界はこうだっただったり、こんなことも起きているなど「人に教えること」が好きなんだともわかりました。
そのため、現在はvery50の大学生プログラムLiDを通して、国際協力に興味がある学生の問題解決スキルを鍛えるお手伝いや、キャリア相談を通して国際協力を仕事に出来るようなサポートをしています。
また高校生向けプログラムでは、国際協力という分野を全く知らない学生も参加しているので、そのプログラムを通して国際協力やソーシャルビジネスに興味を持ってもらうことも裏テーマにしながら取り組んでいます。
SSJの活動など、国際協力を自分が実行するだけでなく、教育を通して志をもった仲間を社会に増やすことを目指しています。
※ヒンドゥー教社会のカースト制度でカースト外とされていた被差別民
次回予告
就職したことで、自分は本当に何がやりたいのか明確になり、実行に移された杉谷さん。
次回は、杉谷さんから見る若者が抱える問題とアドバイスを語っていただきます。
とりあえず「やってみること」が大切#3~認定NPO法人very 50 杉谷遼~
杉谷さんに個別で相談してみたいことがあればTwitterのDMにて相談可能だそうです。
ぜひ相談してみてください!
https://twitter.com/RyohSugitani
この記事の監修者
吉田宏輝
COCOCOLOREARTH代表、社会活動家。
COCOCOLOREARTHでは、社会課題解決を軸にした就職・転職活動を支援するインタビューメディアの代表として、100人以上の社会活動家にインタビュー、記事執筆やイベント登壇などを行う。