社会的な金融のプロである多賀さん。

第1章では、多賀さんの現在の活動や収入源、つくりたいと考えている社会についてお聞きしました!

今回は多賀さんの就活活動に関するお話や、“社会的な金融”をベースに活動することに決めた理由をお届けします。

多重債務から抜け出し、独立するまでの経緯についてもお伺いします!

プロフィール

多賀俊二さん
1965年生まれ、広島県呉市出身の55歳。
2013年中小企業診断士に登録。
1991年、金融機関の業界団体に就職し、25年間勤務。2016年4月独立!
草の根金融(社会課題を解決するため、一般の人が行う手作り金融の営み)の普及・発展を目指す。
2017年6月、直腸がんが見つかり、11月手術。
今は元気に復帰しているがんサバイバー。

大学生時代とパチンコ依存からの脱却

ーーー大学生の時はどのように過ごされていましたか?

反原発学習会」というサークルで活動していました。

活動は、広瀬隆さんなどをお呼びして、学校で原発問題に関する講演会をしたり、原発問題を取り上げた映画を上映したりですね。

ほかには、地域での反原発をめざす市民活動を支援し、研究者の方々と連携したり、また地域で環境活動をしている学内外の学生と交流したりするなど、市民活動家としての基礎を磨いてきました。

また、パチンコにも足繁く通っていました

本来私は経済学部に進学してジャーナリスト化研究者を目指したかったのですが、親からの強い反対を受けて法学部に通いました。

やりたいことが思うに任せないストレスを、パチンコで解消するようになっていたんですね。

ーーーパチンコに依存してしまっていたのでしょうか。

そうですね。

社会人になってからも、職場で溜めたストレスをパチンコやパチスロで発散していました。

気づけば多重債務者になっていて、親や職場にバレて、お金を賭けたパチンコと手を切らざるを得なくなりました。

パチンコを辞めたことと引き換えに、債務については一段落させることができました。

都内には、お金を賭けなくてもパチンコ屋さながらに楽しめるゲームセンターがいくつかあり、パチンコ専門のCSチャンネルと合わせて、禁煙パイポのような役割を果たしてくれました。

ーーーパチンコを辞めたことは、自立につながりましたか?

パチンコにのめり込んでいた時間を、自分が勉強したりキャリアを形成したりする時間に当てられたという観点から、自立につながったと言えます。

また、パチンコと縁を切り、資格を取れたことは、やればできることを証明できたことにもなり、自信になりました。

だからこそ自立できたのだと思います。


就職活動について

ーーーどのような就職活動をされましたか?

ソーシャルな軸で就職活動をしました。

大学時代に行っていた市民活動を、就職先にもつなげたいと考えたからです。

原子力発電に対抗できるのはガスエネルギーだろうと考えてガス会社に、再生紙はエコだからと製紙会社に、また地域を変えるために生協に行っりもしました。

最後には「研究所に来ないか」と言ってくれた金融機関の業界団体に就職しました。

ーーー“社会的な金融”をベースに活動する決意が固まった経緯をお教えください。

まず、就職後に青年環境NGOであるA SEED JAPANで活動する中で、1993年に環境活動家の田中優さんが書いた『どうして郵貯がいけないの』を読んだことが、大きなきっかけです。

本を読んで、私の金融というフィールドでできる、社会貢献をしようと考えるようになりました。


NPOバンクとの出会いとやりがい

ーーー金融機関の業界団体で働く傍らで、NPOバンクでも活動されていたとお聞きしました。

もともと私は、市民が出資をして社会的な活動に融資を行う、日本初のNPOバンクである「未来バンク事業組合」の設立にかかわったので、NPOバンクには思い入れがあったのですが、2004年、規制強化によってNPOバンクが危ないことを知り、その縁で「全国NPOバンク連絡会」結成に参加し、NPOバンクを支援するようになりました。

そのなかで、一時期NPOバンクに注目が集まったこともあり、私自身も少しずつ社会的な金融のプロと見られるようになっていきました。

また2012年には『非営利団体の資金調達ハンドブック』という本を書かれた徳永洋子さんに出会い、NPOの資金調達の専門家という顔も持つようになりましたね。

ーー困難もあったのでしょうか。

ありましたね。

市民の方々の活動が、大きな国の金融による規制の対象になる場合があることです。

2000年代の半ばまでは、事業活動のために出資を集めることには規制が穏やかでした。

市民の出資を集めて風力発電所を作る「市民風車」などの取り組みも広がりました。

しかし、緩い規制を突いて詐欺のために出資集めが行われることがあり、消費者被害も多発したため、規制がかかるようになったのです。

今では、市民が社会的な事業のために出資を集める場合でも、資格を持つ業者に高い手数料を払って頼むか、自ら資格を取るしかなくなってしまい、ハードルは非常に高くなりました。

このことについて、消費者団体の人などは、「市民活動にも最低限の規制は必要」と言います。

しかし最低限」という名の過酷な規制を満たすことは、普通の市民の小さな活動では難しいです。

お金を本当に必要とする人が、お金を集められない状況があるんですね。

難しいと思いつつ、このような問題にチャレンジしていくことが重要だと思います。

今はクラウドファンディングを代表として、様々な資金調達の方法があります。

しかし、クラウドファンディングもオールマイティーではありません。

市民活動やソーシャルビジネスが資金調達をする上での課題や、成功するために必要なことを考えたり、団体ごとにお金の問題を解決したりすることが自分の使命なんだと感じます。

ーーーそんな中で、やりがいを感じる瞬間はありますか?

講演や執筆を通じて、自分のオピニオンに共感が生まれた時です。

例えば、生きづらさを抱えている人が集えるカフェをつくりたい場合です。

カフェをつくるために必要なお金が、銀行から借りれる額では不十分なときに、支援者からお金を借りる、市民債券(疑似私募債)という仕組みがあるのです。

徳永洋子さんから頼まれた市民債券についての講演会が評判となり、研究会が立ち上がって活動ができるなど、話が転がって膨らんでいった時は、やりがいを感じました。

ーーー次回予告

大学生時代から社会的な活動をされていたのにも関わらず、ストレス発散のためにパチンコに通った結果、借金を重ねてしまった多賀さん。

様々な本や人に出会い、研究会が立ち上がったり、独立したりされてきました。

第3章では、たくさんの経験をされてきた多賀さんがおっしゃるからこそ説得力のある、働き方についてのお話やオススメの本をお聞きします。

さらに、多賀さんの今後の展望や、読者の方へのメッセージなど、盛りだくさんの内容です!

今後求められる働き方とは#3〜くさの〜ね 多賀俊二さん〜

ライタープロフィール

横山愛未(よこやままなみ)
大学1年生です。
特別支援教育やキャリア教育に興味があります。
多様な人の価値観や考え方、立場などに寄り添える人になりたいです。
Twitter:https://twitter.com/y_manami2020