今回はマレーシアの無国籍問題解決に取り組む「アノテーションサポート株式会社」を立ち上げた白石さんにお話をお伺いしました。

「誰の痛みも無視されない社会」を志し、日々、事業に取り組む白石さん。

陸上一筋で生きていた若者を無国籍問題へと駆り立てたものとは。

ボランティアを経てソーシャルビジネスに辿り着くまでの葛藤とは。

白石さんの経験から生まれた「社会問題解決」に対する考えをお伺いしました。

プロフィール
白石達郎(しらいし たつろう)

大学一年時に参加したボランティアをきっかけに、マレーシアの無国籍問題に関心を持つ。
一年間大学を休学し、無国籍の子どもが通うボランティアスクールで先生を務めるも、ボランティアの限界を感じ、帰国後に社会起業家を育成するボーダレス・アカデミーの一期生となる。
2020年に新卒でボーダレスジャパンに入社。
1年間の修行を経て、2021年8月にアノテーションサポート株式会社を創業。

起業5ヶ月目、現在の活動

ーーー現在の活動とこれまでの経歴についてお聞かせください。

アノテーションサポート株式会社の共同代表取締役をしています。

2020年に新卒で、社会問題をビジネスで解決する”ソーシャルビジネス”しかやらない会社「ボーダレス・ジャパン」に入社し、新規事業の立ち上げ等を1年目で行いました。

その後、アノテーションサポート株式会社(略してアノサポ)を立ち上げました。

弊社は、「世界の無国籍問題を解決する」というビジョンを掲げており、マレーシアで起きている無国籍問題の解決に取り組んでいます。

ーーーマレーシアで起きている無国籍問題についてもう少しお聞かせください。

マレーシアの東側にSabah(サバ)という北海道ぐらいの大きさの州があります。

約400万人が生活しているのですが、国籍を持たずに生活をする”無国籍者”が50~80万人いると言われています。

“国籍が無い”と言っても、彼らにも母国はあります。サバ州と海を挟んで数十キロ程度しか離れていない、フィリピン南部ミンダナオ地域です。

1970年代、このミンダナオ地域は内戦状態となっており、多くの人々が故郷を追われました。

半世紀経った現在、マレーシア・サバ州に住む50~80万の無国籍者は、ミンダナオ内戦によって生まれた難民の子孫なのです。

マレーシアで保護を受けられなかった難民の子孫が”無国籍者”≒”不法滞在者”となり、学校や病院に行くこともできず、警察や移民局に捕まる不安の中で不法就労をしながら生活をしています。

ーーー無国籍問題をどのように解決するか教えてください。

無国籍者が国籍を取得し、安心して生活を送るには、一度母国フィリピンに帰る必要があります。

無国籍者の中には帰国を望んでいる方もいますが、実のところミンダナオ地域に十分な収入を得られる仕事が無いのが現実です。

帰国を望んでいても選択肢が持てない状況なんですね。

なのでアノサポは、母国フィリピン・ミンダナオ地域に仕事を作り、帰国・国籍取得支援をすることでマレーシアの無国籍問題を解決をします。

ーーー具体的な事業内容を教えてください。

アノサポは、AI開発において必要となるデータを作成する”アノテーション業務”の請負サービスを行っています。

“アノテーション”は特別なスキルを必要とせず、段階的にレベルアップできる仕事です。

教育を受けられなかった無国籍者の方であってもゼロから始めることが可能なのです。

現在は、AI開発をされている企業・研究機関向けに、高品質でスピーディーなサービスを比較的リーズナブルな価格で提供しています。


社会問題に取り組むまで

ーーー社会問題に関心を持ったきっかけを教えてください。

きっかけは、大学一年生の時に参加していた国際ボランティアでの経験です。

ただ、最初からボランティアを志していた訳ではなくて、「箱根駅伝を走る」という夢を持って入学しました。

入学後、迷わず陸上部に入りましたが、高校の時に感じていた”走ることの自由と楽しさ”をいつの間にか失っている自分がいて、半年も経たずに退部をしました。

高校生の時から抱いていた夢を失い、ぽっかりと空いた心を埋めるために、何も考えず友人とドライブをして過ごすだけの日々を2ヵ月ほど過ごしました。

そんな2ヶ月を過ごしている間、ふとした瞬間に自分の中で鬱憤としているエネルギーを感じたんです。「あ、このままじゃだめだ」って。

ーーーその気持ちから、どのような行動につながったのでしょうか?

とにかく「見たことのない世界に飛び込みたい」という衝動があったので、大学のボランティアセンターで見つけた単発のボランティアに参加しました。

そのボランティア活動にたまたま居合わせていた、大学OBの方との巡り合わせが自分の人生を大きく変えました。

そのOBの方に率直に「自分のエネルギーをどこに使えばいいのか分からない」と相談したんですね。

そしたら、その方がたまたま10年前に所属していた学生団体を教えてくれました。

この学生団体こそ、マレーシアにて無国籍の子どもを対象に教育活動をする「ボルネオプロジェクト」だったのです。

抑えきれない沸々とした想いに従い、帰りの電車の中でボルネオプロジェクトに連絡していたことを今でも覚えています。

ーーーなぜ、ボランティアに惹かれたのでしょうか?

うーん、おそらく昔から、「困っている人がいたら、自分が動かなければいけない」と感じていたからじゃないかと思います。

幼少期に遡ると、二世帯住宅の家庭で育ったこととが影響しているのかなと思います。

祖父母が困っていたら手伝いをするのが当たり前の環境だったので、祖父母と同じくらいの歳の人が困っていたら、

見て見ぬふりができない性格に自然となっていました。

「困っている人がいたら助けたい」みたいな美徳が備わったというより、

「困っている人がいるのに動かない状態」に対して強烈な”違和感”を抱くようになったんだと思います。


マレーシアでの無国籍問題との出会い

―――マレーシアの無国籍問題に関心を持ったきっかけを教えてください。

「ボルネオプロジェクト」を通して、実際にマレーシアに訪れた時のことです。

衛生環境が決して良いとは言えない場所で、警察に捕まることを恐れながらひっそりと暮らしている子どもたちを目の当たりにしました。

その景色が私にとっては衝撃的でした。

子どもたちは何も悪いことをしていないのに、ただマレーシアで生まれただけなのに。

学校にも行けず、いつ家族が引き離されるかも分からない中で、だけど無邪気に笑っている。

そんな子どもたちを前にして、我々が生きている社会に対して強烈な違和感と憤りを感じました。

「どうしてこんな状況が生まれるんだ!」「何でみんな見て見ぬふりをしてるんだ!」って。

ただ当時は何をするか、自分に何ができるか、全く想像がつきませんでした。

とにかくこの違和感と憤りに正直に行動しようと動き始めました。

 ―――その後どのような行動を取ったのですか?

一年間、マレーシアで学校の先生をしました。

公的な学校に通えない無国籍の子どもたちは、現地教会の支援で開かれるボランティアスクールに通っているのですが、

その学校で算数、マレー語、英語を教えていました。

ボランティアスクールと言っても教科書もろくにないような状態だったので、カリキュラムを作るところから始めましたね。

―――どんな毎日を過ごされていたのですか?

朝から晩まで学校で過ごし、「どうしたら子どもたちの学力を上げられるか?」を必死で考える毎日でした。

「勉強したくない!」という子どもとも日々格闘もしてました笑

大変なことばかりでしたが、アルファベットも書けない子どもが簡単な本を読めるようになるなど、子どもの成長を間近で見れる、とてもかけがえのない時間でした。

―――1年間を終えてどのようなことを感じたのでしょうか?

マレーシアを去る日、公園で先生としての一年間を振り返っていたのですが、その時に子どもたちへの思いと共に悔しさが突然溢れました。

「僕は子どもたちの人生を変えることができなかった」と。

私が一年間教えてきて本を読めるようになった生徒も、”無国籍”であることは変わりません。警察から逃れる毎日を送り、13,14歳ごろには親と一緒に建設現場や露店などで不法就労を始めます。

そして結婚して子どもができれば、その子どもも同じく無国籍状態となってしまう。

「こんな社会を変えるには今までのやり方では意味がない」と感じました。

ソーシャルビジネスを勉強し始めたのも、ちょうどこの時です。