「多様性を認めましょう。」

僕は学校でそう習ってきた。そう洗脳されてきた。

だから僕は多様性が大事だと思うし、人が色々な考え方をすることに魅力を感じる。

きっと多様性の尊重を大事に感じる人は僕だけではない。Twitterなんかを眺めていると多様性の尊重を掲げる人がたくさんいる。

例えばBLM(Black Lives Matter)なども多様性への信仰が根本にあるような気がする。もし多様性を尊重していない人ばかりであれば、他者のあり方を認めない人ばかりであれば、かの問題はあそこまで熱を帯びなかったと思う。

うん、多様性を大事にする人はたくさんいる。でも、多様性が必要な理由を説明できる人はどれほどいるのだろう。

かくいう僕は多様性が必要な理由を説明できない。だからこの場を借りて多様性の意義を自分なりに考えたい。

ここでは二つの理由から考えてみる。

理由1 物事を正しく認識するため

多様性はなんで必要なのだろう。

ただ考えていても埒が明かない。だから、反対を考えてみる。

もし多様性がなければどうなるのだろう。

多様性の反対は単一性。

これをわかりやすいイメージに落とし込むと、「全ての人間がピコ太郎」ということ。同じグラサンが70億並び、ペンパイナッポーアッポーペンが70億あるということ。

これは極端な例ではあるが、気色悪いし何かおかしい様な気がする。

そして危険な気がする。

なんでだ?

実際に、同じような考えを持った人でグループがつくられた時のことを考えてみる。

その時、議論はスイスイと進んだが、最終的に出来上がったものはあまり良くなかったように思う。

というのも視点が足りなかったから。物事を正しく理解できなかったし、問題点に気づけなかったのだ。

一方で、様々な意見を持った人が集まったときには、色んな方向から意見が飛び交い議論は長引いたが、最終的には抜け目のないものがつくられた。

サイコロの一の目だけを見てもそれは日の丸弁当にしか見えない。6面から見てはじめてサイコロはサイコロとわかる。

つまり、物事を正しく認識し、問題性などに気づくために多様性が必要なのである。


理由2 進化をするため

でも70億も同じ人が並ぶ光景に気色悪さとおかしさを感じるのは、もっと根本的な問題があるような気がする。

というのも、それは不自然なんだ。

人が全て単一化されるのは日頃僕たちが見ている風景とはかけ離れていて、とても不自然だ。

不自然なこと自体は問題ではない。しかし自然とは、長い時間をかけた最適化の結果である。進化の結果である…

そうだ進化だ。進化できないのだ。多様性を失うと。

偉大なるダーウィンさんによると、種は様々に変質する中で、環境にマッチした個体が子孫を残し、進化をしてきたという。

わかりにくいので例をあげる。例えば、キリンは高い所の葉を食べるために首が伸びたのではない。たまたま生まれた首の長い個体が、高い所の葉を食べられることから生き残り子孫を残すことで、徐々にキリンという種全体が生きるうえで都合の良い長い首を手に入れたのだ。

つまり進化の前提には首の長さという多様性が存在しているのである。

もしこの多様性がなければキリンはみな環境に適応できず絶滅しただろう。

進化のために、生き残るために多様性は必要なのだ。

一応誤解を招かないように伝えておくと
多様性に優劣はない。とはいえ、生き残るという視点では優劣がある。

しかし、神でもない僕らは何が正しいかは知りようがない。

だから全てのありかたを尊重しよう、全ての可能性を自身のために尊重しよう。

そう思うのだ。


多様性はなぜ必要か~当たり前を考える~

ここまでの話を総括すると、物事を正しく認識するために、そして生き残るために多様性は必要。

つまり虐げられる少数派のために多様性が必要なわけじゃない、僕のために全体のために多様性は必要なんだ。

こんなことはだれも教えてくれなかった。きっと今考えなかったら多様性の大事さには一生気がつかなかった。

そうして誰かのためとうそぶいて脳死で倫理を振りかざしていた。

倫理を自分ごとにするために、道徳へ魂を吹き込むために、僕は当たり前を考え続けたい。

ライタープロフィール
木下 悠(きのした ゆう)

早稲田大学社会科学部に在籍。平和学を専攻。興味分野は報道、教育。
考えるゴリラとしてnoteで執筆中
Twitter:きのしたゆう@考えるゴリラ
note:考えるゴリラ@早稲田webライター