今回インタビューさせていただいたのは、アジアを中心に無形文化遺産保護のプロジェクトを企画している、大貫美佐子さん。
第一弾となる今回は、現在の活動内容と、無形文化遺産保護への想いを中心にお伝えします。
大貫美佐子(おおぬきみさこ)
東京外国語大学を卒業、財団法人ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)図書開発課に勤務、アジア人のためのアジアの言語による教材開発事業を担当。その後同センター文化協力課長として、2003年にユネスコ総会で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」の普及活動にユネスコ本部とともに従事。また日本女子大学講師として社会に出るための自己表現の講座を担当。2011年より独立行政法人国立文化財機構アジア太平洋無形遺産研究センター(IRCI)副所長・研究室長として、アフガニスタンやフィリピンなどを中心に、紛争後の地域で消滅の危機に瀕する無形文化遺産の復興プロジェクトに従事した。2021年より、NGO“LHN”代表。
紛争後やコロナ禍でも現地プロジェクトを動かし多様な文化の保護活動を進める
ーーー現在のお仕事について教えていただけますか?
現在は、独立行政法人の国立文化財機構アジア太平洋無形遺産研究センターに所属し、無形文化遺産の復興プロジェクトなどを企画しています。
無形文化遺産というのは、様々な地域ごとに継承されている伝承や儀礼、祭りなどのことですね。
特に私自身は、実際のプロジェクトとしては、3年前ほどからアフガニスタンでの無形文化遺産の復興活動に力をいれてきました。
ーーーCOVID-19の影響で、現地には行けませんよね。どのように保護活動をしているのですか?
現在アフガニスタンは、外務省の危険レベル4(退避勧告)によっていかなる目的でも渡航は中止しなければならない状況です。
また、COVID‐19禍で海外から日本に招聘することもできなくなりましたが、昨年初めまではアフガニスタンから日本に専門家を招聘することは可能でしたので、現地の大学の教員や女子学生と日本で調査の方針を話し合って、綿密に調査のトレーニングをしました。
そして、彼らが帰国後に無形文化遺産の調査ができるように連携して活動してるんです。
本番で彼女たちは伝統的な村に行って交渉し、インタビューや映画撮影を行うのですが、そこでは私はSNSやメッセンジャーを使って参加しました。
アフガニスタンはまだインコンフリクトの状態です。
今回ターゲットにしたのはタリバン政権下で抑圧されていた女性による儀礼や儀式がどれだけ実践されているのか、消滅してしまったのかといった調査です。
なので、アフガニスタンの村やコミュニティに入って、それをインタビューしたり、映像にとるということは、受け入れ交渉に時間がかかり、信頼関係を構築することから始めなければなりません。
村から村への移動に危険が伴い、信頼できるドライバーの確保や宿泊所の確保などに神経をつかいました。
なので、外国人がいきなり入るよりも、自国の学生が知っている(あるいは生まれ育った)村を訪ねることによって、人々も心を開いてくれるのではないかと。
結果、タリバン政権下でも様々な形で女性たちが無形文化遺産を実践していたことがわかりましたし、実践するという行為そのものが、女性の歴史の継承であることもわかってきたのです。
儀礼や祭りを再現してくれたり、カメラを向けても友好的に答えてくれる女性たちがいました。
これは現地の学生さんと連携したから可能だったんだろうな、と思います。
アフガニスタンのバーミヤンの村を移動しつつ調査するバーミヤン大学の学生たち。(2020年11月)
ーーーなるほど、状況によって自身が現地に行かなくとも可能なこともあるんですね。
インコンフリクトだからといって、立ち止まるのではなく、何ができるのかを常に考えようと。しかも、彼女たちが現地の伝統文化に触れることで、人材育成にも繋がることを実感したんです。
「自分たちの生まれ育った地域には、こんなにたくさんの伝統があったのだ」と彼女たちが知ることで、形のある文化遺産だけでなく、生活の中の無形の文化遺産の認識が深まり、伝承される一歩目になる。
自分たちが現地に行くことのできない調査は初めてで不安でしたが、想定以上の結果が出ていますね。
現地の人々が持つ豊かさに触れ、このために何かしたいと思いました。
ーーー大貫さんが、無形文化遺産の保護に興味を持ったきっかけはあったんですか?
財団法人ユネスコ・アジア文化センターで仕事を始めて、最初の出張での経験が大きかったですね。識字教材開発のプロジェクトとして、マレーシアのボルネオ島に行く機会があったんです。新人として、現地を見てこいって感じで。
そこで二週間ほど文字の読み書きのできない非識字者向けのワークショップを開催しましたが、期間中調査のために村のロングハウス滞在したんですけど、滞在先の現地の人がとても熱烈に歓迎してくれたんですよ。もう、熱帯雨林の中の家で子どもも大人も、一晩中踊り明かしながら歓迎してくれる。
そのエネルギーというか、人々が持つ心と自然と文化の豊かさに初めて触れた経験だったのかもしれません。人への接し方が、オープンで、開放的で、笑いがある。
当時の私にとって、日本とはぜんぜん違う世界にふれて。こんなにも豊かな文化があるんだなって思いました。
私は大学でミャンマーを研究の対象にしましたが、現地に行って、それが現実の感覚として全く違った味として芽生え、とても現実的に把握できていった。人々の暮らしの中にある物語の世界にもふれ、アジアの人々が持つ伝統や豊かさに触れるたび、この豊かさに触れて何かをしたいと、自然に思うようになりました。
識字の調査で訪れたマレーシアのサラワク州にて、人々の熱烈な歓迎をうける。
ーーー文化の豊かさに触れたことが大きかったんですね。
その土地ごとに、語り継がれている伝承や文化がありますしね。ミャンマー、ベトナム、ラオスにいったときも、いろんな文学に触れ、それらが世界遺産の寺院のレリーフなどに突如出現したり、とてもワクワクして素晴らしいんです。
現地の人だけに語り継がれているものもあれば、叙事詩「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」のように、東南アジアや南アジア一体に様々な形で語り継がれ、祭りなどの無形文化遺産として継承されているものも数多くある。
そういうものに触れるたびに、無形文化遺産がアジアには本当に豊かに存在する、と感じますね。
ーーー無形文化遺産の保護活動はとても意義のある活動だと思いますが、活動するなかで大変なことはありますか?
どこの国でも、若い人たちは伝統の継承や保護の活動の意義を理解してもらうのに時間がかかることですね。
また、「調査するのは良いけど、経済的に豊かになるのか?」と、世界遺産の事例を出して、伝統芸能などの無形の文化を経済収入の一つの手段としてまず考えるべきという意見が多いことです。
現地の人からしたら、文化の保護よりも、自分たちが生活する上でのお金のほうが喫緊の課題なんですよね。
経済発展につながるのか、と言われるのは仕方がないことかもしれませんが、世界遺産条約から30年遅れて採択された、無形文化遺産条約では、世界に多様に存在する無形の文化が消滅の危機に瀕していることに危機感をもって、なんとかそれらを失わずに豊かな世界をと考えて支持されてきたのです。
多様性を失うということがどのようなことか、経済だけではない考え方、あるいは経済と両立しつつ共に考えていきたいと思っています。
ーーーたしかに、すぐに生活が豊かになるわけではないですもんね……。
私は無形文化の保護が、その国の復興に繋がると信じているんです。
経済的に豊かになっても、自国の文化が育たずに、結局文化政策や国内民族間の対立が深まり厳しい状況に陥っている国々を知っています。
国として保護をするということは、他者を受け入れるという考え方を共有することになります。アイデンティティのためではなく、多様性(あるいは類似性の認めあい)の尊重なので、長期的な目線で見ると、無形文化の保護は絶対に必要になる。
だからこそ、今も現地の学生と連携をとりながら調査を進めているんです。
ーーー次回予告
現地の人が求めるものとの乖離。文化の保護活動をしていく上で、避けては通れない葛藤なのかもしれません。
大貫さんは別の調査でも、現地の人が抱く問題意識と乖離を感じたとのこと。次回は、他国と関わる中で大貫さんが意識していることを、掘り下げてお届けします!
現地の人々が持つ豊かさに触れ、このために何かしたいと思った#2~アジア太平洋無形遺産研究センター大貫美佐子さん~
この記事の監修者
吉田宏輝
COCOCOLOREARTH代表、社会活動家。
COCOCOLOREARTHでは、社会課題解決を軸にした就職・転職活動を支援するインタビューメディアの代表として、100人以上の社会活動家にインタビュー、記事執筆やイベント登壇などを行う。