今回は、ソーシャルビジネスで国際協力をされている中村八千代さんに公開インタビューを行いました!

第2弾では、ユニカセを設立した中村さんのバックグラウンドに迫ります。

国際協力の分野に携わるに至った原体験はなんだったのでしょうか?

プロフィール
中村 八千代

1969年東京生まれ。明治大学商学部卒業後、カナダに留学。
帰国後、父親の会社が倒産し、連帯保証人として自身も26歳で4億円の借金を背負うことに。借金返済後、2006年に途上国の恵まれない子どもたちを支援する非政府組織(NGO)「国境なき子どもたち」の派遣員としてフィリピンに赴任。2010年にソーシャルビジネス「ユニカセ・コーポレーション」を創設、貧困層の青少年の雇用機会創出を目的としたレストランをオープン。
2021年2月、感染症拡大の影響でユニカセレストランは閉店し、青少年育成事業を軸とし講演活動や新規事業を立ち上げ再スタート。

ユニカセ設立に至るまで

ーーーなぜ国際協力をしようと思われたのですか?

社会や人のために自分らしさを活かしてお役に立てることがしたかったからです。

私が20歳の時、母親が病死し、その後、父親の経営するスーパーマーケットが倒産して家族が崩壊してしまいました。

父親の借金の連帯保証人にもさせられていたため、私は26歳で突然、父の代わりに4億円を返済しなくてはならなくなりました。

そのため、20代後半はひたすらお金を稼ぐことに焦点をあて、睡眠時間2時間で週7日働いていました。あの頃、過労で倒れて1年間で4回くらい入院してました。(笑)

30歳になる頃には、母が残した家業の仕事をなんとか軌道に乗せ、金銭的な問題は解決し始めていたのですが、精神的にも肉体的にも疲れ果ててました。

状況が落ち着いた頃、ただお金のためだけに働くのではなく、誰かのため、社会のためになることがしたいと思い、国境なき医師団(MSF)の東京事務局で働き始めました

その後、子どもに焦点を当てて支援を行なうためにMSFから独立した国境なき子どもたち(KnK)でフィリピンに派遣が決まりました。

ーーー現在も青少年に対して支援を行なっていますが、中村さんの活動では子どもにフォーカスしているのはなぜですか?

20代で家族を失い、辛い思いをしたのが原体験です。

私と似たような経験をしている子どもたちが自分自身のようで、子どもたちが「こんな大人がそばにいてくれたらな~」と思っている大人になりたいです。


ユニカセを立ち上げたきっかけ

ーーーユニカセ設立に至ったきっかけを教えてください。

フィリピンで教育支援をしていた男の子が銃殺されてしまった事件に遭遇したのがきっかけです

彼は、高校までは卒業できたものの、就職ができませんでした。

そのため、お金がなく、スーパーマーケットでトマトソースを1缶盗んでしまい、セキュリティーガードにその場で射殺されてしまいました。

日本にいて、自分の知り合いが射殺されるなんてほとんどない経験ですよね。
だからものすごくショックな事件でした。

また、当時一緒にKnKの施設にいた11歳の男の子から、
「どうしてお兄ちゃんは高校卒業したのに就職しなかったの?
なんでお兄ちゃん、殺されてしまったんだろう。
僕、学校に行く必要あるの?」

と純粋でストレートな質問を突きつけられました。

その時に、学校に行けない子どもたちをただ学校に通わせるだけでは足りないんだと気づかされたんです。

そして、どうして勉強するのか、なぜ学校に行くのか実感してもらう必要性を感じました。

人生のロールモデルを多く提示して、あんなお兄ちゃん、お姉ちゃんになりたい、だから勉強するんだ、と思ってもらう

そのようにすれば、自身の未来像、キャリア形成に繋げられると考えました。

このようにして、ロールモデルを作ることの重要性を実感し、ソーシャルビジネスを立ち上げる決意をしました。

ーーーなぜレストランで青少年育成事業を始めようと思ったのですか?

最貧困層の青少年たちでもお客様を喜ばせることができると思ったからです。

貧困層の中でも、中間層に近いランクと本当に想像を絶するような最貧困と呼ばれる部分の人たちがいます。

私が雇用してきた青少年たちは、家族がいない、自分の本名も誕生日も知らない、戸籍すらない、という最貧困層のケースがほとんどです。

彼らは良くて高校卒業で、大学に行ってる子は一人もいないので、ほとんどの青少年たちはパソコンが扱えません

そのため、事務仕事は難しいのではないかと判断しました。

彼らがお客様を喜ばすことができることは何か・・・。

貧困層出身でもトレーニングすれば、心のこもった料理や温かいサービスを提供できるのではないか、と考えました

ーーー自然食レストランにしたのはなぜですか?

他のレストランとの差別化(独自化)を図れると感じたからです。

当時のマニラの食を徹底的に調査したところ、飲食店で売られていたのはほとんどが油っぽく栄養バランスがかなり悪いものが多かったです。

ベジタリアンカフェや健康的なお店は、200件以上調査した中で2件しかありませんでした。

そのため、お客様の健康のためオリジナルレシピを提供しようと考えました。

 

ーーー次回予告

第2弾では、ユニカセ設立までの過程と中村さんの原体験についてお伝えしました。

次回は、国際協力に関心のある学生が身につけておくべきスキルやマインドをお伝えします!

≫国際協力に携わるために必要なこと。学生のうちからやっておくべきことは何か?#3〜ユニカセ・ジャパン 中村八千代さん#3〜

ライタープロフィール
杉野若葉(すぎのわかば)

青山学院大学地球社会共生学部2年。
国内外の教育に興味があります。