今回は、JICA海外協力隊のOMさんにインタビューしました。
OMさんは、大学で国際協力を学んだ後、日本の福祉業界で就労支援に携わり、現在はヨルダンのNGOで障がい児者支援や難民の起業サポートに取り組んでいます。
なぜ、国際協力を志しながら、最初の一歩として日本の福祉の現場を選んだのか。
理想と現実のギャップに直面したとき、どのように悩み、乗り越えてきたのか。
本記事では、OMさんのこれまでのキャリアの軌跡をたどりながら、現場で感じたリアルな葛藤や、「誰もが能力を発揮できる社会」を目指す今後のビジョンについて伺いました。
社会課題の解決を仕事にしたい学生や、今の仕事に違和感を抱えながらキャリアを模索している若手社会人にとって、自分らしい一歩を踏み出すヒントが詰まったインタビューです。
目次
ヨルダンのNGOで向き合う、多様な人々の自立支援
ーーーまずは、現在の所属と具体的な活動内容について教えていただけますでしょうか。
中東・ヨルダンで、JICA海外協力隊として活動しています。
2024年11月から派遣されており、職種は「障がい児者支援」です。
大きく分けて2つの活動に関わっています。
一つ目は、知的障がいのある利用者の方々への支援です。
将来的な就職を見据えて、ライフスキルやソーシャルスキルを高めるためのアクティビティを提供しています。
二つ目は、女性や聴覚障がいのある方、そして難民の方々への支援です。
NGOが実施している起業トレーニングの場で、参加しやすい環境を整えるためのサポートを行っています。
文化と宗教の壁。日本での経験と海外現場でのギャップ
ーーーOMさんは協力隊に参加される前、日本でも福祉の現場で働かれていたと伺っています。日本での経験とヨルダンでの活動とで、似ている点や大きく違うと感じる点はありますか。
似ていると感じたのは、利用者の方一人ひとりに個性があるということです。
「知的障がいがある」という大きなくくりは同じでも、実際には一人ひとり全く異なる存在です。
だからこそ、その人の様子をよく観察し、それぞれに合ったアプローチを考えていく必要があります。
その点は、日本でもヨルダンでも変わらないと感じました。
ーーーでは、逆に違いを感じたのはどのような部分でしょうか。
一番大きく違うと感じたのは、宗教的・文化的な背景です。
私が配属されたNGOでは、男女の接触が禁止されています。
たとえば、挨拶で握手をすることもできませんし、身体的なサポートが必要な場面でも、異性に直接触れて手伝うことはできません。
ーーーそれは、支援を行う上で非常に大きな壁になりそうですね。
はい。
直接触れずに、どうやって伝えたりサポートしたりするのか。その難しさは強く感じました。
一方で、現場に入ってみると、独自の工夫や暗黙のルールがあることもわかってきました。
たとえば、「鉛筆の先と先で持ち合ってサポートするならOK」といった形で、文化を尊重しながらコミュニケーションを取るための方法が存在していたんです。
そうした工夫を取り入れながら、現地の文化を大切にしつつ、どう支援につなげていくかを探っていく。
そのプロセスは、難しさもありますが、同時に面白さを感じる部分でもありました。
16歳の衝撃と「ホワイトシチュー」。理不尽さを自分ごとにするまで
ーーーOMさんが「社会課題」や「国際協力」に関心を持ったのは、いつ頃だったのでしょうか。
最初のきっかけは、高校2年生のときの出来事でした。
高校の授業で、「世界がもし100人の村だったら」というワークショップを受けたんです。
参加者がそれぞれ世界の人口比率に応じた役割を割り当てられるのですが、私は一番貧しい「貧民」の役割になりました。
世界の富に見立てたお菓子が配られるとき、豊かな役割の人にはたくさん配られるのに、私にはほんの少し、かけらのような量しかもらえませんでした。
生まれた環境が異なるという、ただそれだけの理由で、扱いが全く異なってしまう。
世界にはそうした理不尽の中で生きている人たちがいるのだと知り、大きな衝撃を受けました。
ーーーそこから「自分の仕事にしよう」とまで深く入り込む人は少ないと思います。なぜ、その経験が「自分ごと」になったのでしょうか。
それは、高校時代の環境が大きかったと思います。
私が通っていた高校は国際色が豊かで、講義などに来てくださる先生の中にも、元青年海外協力隊の方が複数いらっしゃいました。
また、私の家でもインドネシアの学校から留学生を受け入れたり、実際にインドネシアやフィリピンを訪れたりする機会がありました。
ーーー日常的に海外との接点があったのですね。
そうなんです。
実際に国際協力に関わる人と出会ったり、自分とは異なる環境で生きる人が本当に存在することを目の当たりにしたりしたことが、課題を自分ごととして捉える大きなきっかけになりました。
あと、もう一つ、今でも強く印象に残っている出来事があります。
ーーーどのような出来事でしょうか。
そのワークショップを受けた日の夕食が、ホワイトシチューだったんです。
温かいシチューを食べながら、ふと「私はなんて恵まれているんだろう」と感じました。
私はまだ社会に対して何の価値も提供できていないのに、こうして温かいホワイトシチューを食べられる環境に生まれ育っている。
その恵まれた環境に対して、何か恩返しがしたい。
そんな気持ちが、自然と湧き上がってきたんです。
ーーーワークショップの疑似体験と、日常の温かい食事のコントラストが、OMさんの心に深く刻まれたのですね。
そうですね。
そこから国際協力への思いを持ち続け、大学でも国際教養学部でグローバルヘルス領域を専攻しました。
大学時代には、世界の保健に関する課題や解決策について幅広く学び、元協力隊の方々の講義にも大きな刺激を受けました。
そして、その思いが「これを仕事にしたい」という明確な決意に変わったのは、大学3年生、20歳のときでした。
ーーー大学3年生のときに、何があったのでしょうか。
NGOのパレスチナ事業でインターンシップを経験し、実際に1か月間、パレスチナを訪れました。
そこで出会ったのは、圧倒的に理不尽な環境の中にあっても、力強く生きている現地の人々の姿でした。
そして、そんな人たちを全力で支えているNGOスタッフの方々の姿を間近で見て、「私も何らかの形でここに関わりたい」と強く思うようになりました。
国際協力へのステップとして選んだ、日本の「福祉」という現場
ーーー大学卒業後の進路を考える際、そのまま国際NGOなどに就職する道もあったかと思います。なぜ、日本の福祉領域、しかも株式会社での就労支援という道を選んだのでしょうか。
就職活動の軸として、将来的に国際協力に携わることは決めていました。
ただ、その前にまずは自分自身に何らかのスキルを身につけたいと考えていたんです。
そのためのステップとして選んだのが、社会課題の解決に直結しやすい「福祉」の分野でした。
ーーー「福祉」という分野に絞ったのは、何かきっかけがあったのですか。
大学時代にお世話になった元協力隊の方が、タイでデイサービスを運営されていました。
そこを訪問させていただいたときに、そこに流れていた「居心地のいい居場所」、いわゆるサードプレイスのような雰囲気がとても素敵だと感じたんです。
自分も、こうした居場所をつくる仕事に関わってみたい。
そう思ったことが、福祉の領域を志す大きなきっかけになりました。
また、将来的にはJICA海外協力隊に参加しようと高校時代から決めていたのですが、就労支援の要請情報を見ていると、「実務経験3年以上」が条件になっているケースが多かったんです。
だからこそ、まずは日本で3年間しっかり現場を経験し、必要なスキルを蓄積しようと考えました。
ーーーその中で、1社目を選んだ決め手は何でしたか。
「早い段階から意思決定に関われて、自分自身も成長できる環境かどうか」を重視しました。
その会社と出会ったのは、大学時代にお世話になった方から、「私に合いそうな会社あるよ」ご紹介いただいたことがきっかけです。
お話を伺う中で、将来的に海外展開も視野に入れていることや、若いうちから管理職を目指せる環境があることに惹かれました。
ーーー実際に入社されてみて、どのようなお仕事を経験されたのでしょうか。
2021年4月に入社し、約3年間、正社員として就労継続支援B型事業所で働きました。
主な仕事は、障がいのある方の就労支援です。
支援員として、利用者の方との面談や日々の目標設定、作業のサポートなどを担当していました。
B型事業所は作業を通して就労準備性を高めていく場所なので、将来の就職に向けた「疑似就労」の支援を通じて、さまざまなスキルを身につけていただくお手伝いをしていました。
そして、最後の約1年間は管理者の業務も任せていただきました。
事業所の運営に加えて、利用者の方に来ていただくための地域連携活動や、生産活動の作業を企業から受注するためのアプローチなども経験しました。
「何もしない時間」の価値
ーーー3年間の現場経験を経て、JICA海外協力隊としてヨルダンへ派遣されたわけですが、実際に国際協力の現場に入ってみていかがでしたか。
ヨルダンを希望したのは、中東地域やアラビア語に関心があったことに加えて、自分が経験してきた「就労支援」の要請があったからです。
訓練所や現地では、さまざまな背景や思いを持つ協力隊の仲間と出会うことができました。
情報交換をしたり、自分の将来について深く考えるきっかけをもらえたりと、想像以上に大きな学びがありました。
ただその一方で、活動そのものについては、想像以上に苦労した部分もありました。
ーーーどのような苦労があったのでしょうか。
「燃え尽きそうになった」時期があったんです。
派遣されて最初の半年ほどは、自分がやりたいことを提案しても、なかなか前に進まない状況が続きました。
配属先のスタッフから「今はやることがないよ」と言われてしまうこともあり、自分の存在意義を見失いそうになったんです。
「私は何のためにここにいるんだろう」
「日本に帰りたいな」
そう思うほど、精神的に追い詰められていました。
ーーーそこから、どのようにして立ち直っていったのですか。
一つは、他の協力隊員やJICAの職員さんに、そのときの率直な気持ちを話して、息抜きができたことです。
そしてもう一つ、今になって振り返ると一番大きかったのは、「何もしない時間」を大切にしたことでした。
ーーー「何もしない時間」ですか。
何か目的を持ってタスクをこなすのではなく、ただ配属先のスタッフと一緒にお茶を飲んで、とりとめのない話をしながら過ごす時間のことです。
日本人は、何もしないまま時間を過ごすことに、どこか苦手意識があるように思います。
でも、そうやって一緒に時間を過ごすことこそが、実は信頼関係を築いたり、相手の文化を理解したりするうえで、とても大切なプロセスだったんです。
関係性ができて初めて、こちらの提案も受け入れてもらえるようになる。
それに気づいてから、少しずつ歯車が噛み合うようになっていきました。
観察力と柔軟性で、アイデアを形にする
ーーー日本とヨルダン、異なる環境で支援に携わる中で、OMさんが仕事をする上で培ってきた力や、大切にしていることはありますか。
自分のキャリアの中で特に有益だと感じているのは、「柔軟性」と「観察力」です。
特に観察力は、支援の現場では欠かせないものだと思っています。
ーーー「観察力」というのは、具体的にどのような場面で活きているのでしょうか。
たとえば、利用者の方やスタッフが部屋に入ってきたときに、最初にどこを見て、何をするのか。
あるいは、他の人が近づいてきたときに、どのような反応や態度を示すのか。
そうした何気ない行動を観察することで、その人の個性や状態を理解し、その人に合ったアプローチへと変えていくことができます。
また、相手がよく使う言葉に注目することもあります。
以前、あるスタッフが「サクセスストーリー」という言葉を頻繁に使っていることに気づいたことがありました。
そこで、「この人はこういう考え方や表現を大事にしているんだな」と理解し、自分が新しい提案をするときにも、あえてその言葉を織り交ぜてコミュニケーションを取るようにしたんです。
相手をよく観察し、柔軟に対応していくことで、物事がスムーズに進む場面はとても多いと感じています。
ーーーそうした経験を踏まえて、これからどのような役割を担っていきたいと考えていますか。
将来的には、「ソーシャルビジネスのプロジェクトマネージャー」になりたいと考えています。
特定の分野に絞っているわけではありませんが、地域おこしやまちづくり、起業家支援などには特に関心があります。
「やりたい」という思いはあるけれど、自分一人ではまだ形にできていない人を、さまざまなセクターを巻き込みながら、環境面から支えていくような役割を担いたいです。
ーーーなぜ、プロジェクトマネージャーという役割に惹かれているのでしょうか。
これまでの経験を通じて、多様なステークホルダーや関係者と協力しながら、一つの目標に向かって物事を前に進めていくプロセスに、いちばんやりがいを感じてきました。
周囲の人を巻き込みながら、アイデアを形にしていく。その過程に、私自身がいちばんワクワクできるんです。
これからも、そうやってワクワクしながら、社会にとって良いものを生み出していきたいと思っています。
未来を憂うより、目の前の「ワクワク」を大切に
ーーー最後に、社会課題の道を志す学生へメッセージをお願いします。
私自身もそうだったのですが、社会課題に向き合うキャリアを考えると、何十年も先の未来まで想像してしまい、「これでいいのだろうか」「うまくいくのだろうか」と不安になることがあると思います。
でも、そんなときこそ、まずは目の前にある「自分がやりたいこと」や、ふと巡ってきたチャンスに、一歩ずつ向き合ってみてください。
そのときは、一つひとつの経験がただの「点」に見えても、あとから振り返れば、きっとそれらは自分なりの「線」になってつながっていくはずです。
だからこそ、「ワクワクすること」や「やってみたい」という自分の気持ちを、ぜひ大切にしてほしいと思います。

この記事の監修者
吉田宏輝
COCOCOLOREARTH代表、社会活動家。
COCOCOLOREARTHでは、社会課題解決を軸にした就職・転職活動を支援するインタビューメディアの代表として、100人以上の社会活動家にインタビュー、記事執筆やイベント登壇などを行う。
