今回は、日本に逃れてきた難民の社会統合や自立支援に取り組む、石井麻鈴さんにインタビューしました。
石井さんは大学時代にシリアの現状を知ったことをきっかけに難民問題に関心を持ち、フィンランドでの難民支援活動を経験されました。
卒業後はあえてベンチャー企業に進み、新規事業立ち上げやキャリアアドバイザーとして「ビジネスの力」を習得。
その後、イギリスのサセックス大学大学院で「移住と開発」を専門的に学び、現在は難民支援団体のプロジェクトオフィサーとして、日本にいる難民の方々の支援に尽力されています。
なぜ彼女は、安定したビジネスキャリアを歩みながらも、再び社会課題の現場へと戻ったのか。「想い」を「形」にするために必要だった遠回りと、現場で直面する理想と現実のギャップ。そして、キャリアの選択に悩む若者へ向けた「自分らしい一歩」の踏み出し方について、じっくりとお話を伺いました。
目次
日本に生きる難民の「自立」を支える。難民支援団体のプロジェクトオフィサーの日常
ーーー本日はよろしくお願いします。まず、石井さんが現在どのような活動をされているのか、具体的にお聞かせください。
現在は国際協力に携わる公益財団法人 パスウェイズ・ジャパンで、プロジェクトオフィサーとして働いています。
主なテーマは「日本にいる難民の社会統合と自立支援」です。
具体的には、母国での迫害や紛争から逃れ、日本で生活を始めた難民の方々が、この社会で自分らしく生きていけるよう多角的なサポートを行っています。
ーーー「自立支援」と一口に言っても、その内容は非常に幅広いのではないでしょうか。
おっしゃる通りで、多岐にわたります。
単に「日本語学校や仕事を紹介して終わり」というわけにはいかないのが、この支援の難しさであり、重要さでもあるんです。
日本に来たばかりの方々は、言葉の壁はもちろん、社会制度の違いや文化のギャップに直面し、日々戸惑いの中にいます。
そのため、私たちはまず、生活の基盤となる日本語能力を向上させるための学習プログラムを提供しています。
また、精神的なサポートも欠かせません。
彼らは母国での経験から心に深い傷を負っていることもあるため、専門家と連携してメンタルヘルスケアの機会を作ることも大切な業務の一つです。
「働くこと」の土台となる、心身の健康と地域社会での居場所を整える。
最近は、排外主義的な風潮が強まり、外国人全般に風当たりが強く、支援がなくなったり、取り締まりが厳しくなったりしています。
外国人雇用をする企業の考え方も「日本人のように働けること」を前提に採用する、というような厳しい状況になっています。
彼らが日本社会に受け入れられ、尊厳を持って暮らせるような「土壌」を作ることこそが、私たちの役割だと思っています。
ーーー現場では、具体的にどのような方々と関わることが多いのでしょうか。
現在は主に「教育パスウェイズ」というプログラムを通じて、日本へ逃れてきた若者たちの支援を担当しています。
母国での紛争や政変により、志半ばで学びを諦めざるを得なかったシリア、アフガニスタン、ウクライナの学生たちです。
この3カ国以外にもミャンマー出身者やクルド人など他の地域の難民の背景を持つ若者に高等教育の奨学金を提供しています。
彼らが日本で新たな未来を切り拓けるよう、日本語学校や大学と連携して、教育/就業の機会を提供することが私たちのミッションです。
パスウェイズジャパンで4月から日本語学校で勉強するウクライナ避難民の方を空港お迎えしたときの写真
ーーー進学だけでなく、その先の「就職」まで見据えたサポートを行っているのですね。
はい、単に学校を紹介して終わりではありません。
自立のためには「働くこと」が不可欠ですから、企業とのマッチングはもちろん、就活説明会やメンターシップの提供など、一人ひとりが目指すキャリアを形にするための準備を共に行います。
また、スキル面だけでなく、精神的な安心感、つながりを得られるようなコミュニティ作りも大切にしています。
来日直後のオリエンテーションで日本の生活習慣を伝えたり、学生同士や支援者が繋がれるイベントを開催したりもします。
来日前から日本での就職まで、一貫して寄り添い続ける。
こうした「伴走支援」こそが、私たちが最も大切にしている価値なんです。
「生まれた場所が違うだけ」同い年の少年が銃を持つ現実に震えた原体験
ーーー石井さんが「難民」というテーマにこれほど深く関わるようになったのは、いつ頃からだったのでしょうか。
きっかけは、大学1年生だった2015年に遡ります。
当時、シリアでの内戦が激化し、多くの人々が命がけで海を渡る様子がニュースでも大きく報じられていました。
ある日、私は大学の授業やイベントを通じて、同い年のシリア人少年の姿を追ったドキュメンタリー映画を観ました。
それが、私の人生を大きく変える原体験となりました。
ーーーその映画の中で、何が石井さんの心に刺さったのですか。
私と同じ18歳や19歳の若者が、ペンを持つ代わりに、自由を取り戻すために銃を手に取って戦っていたんです。
私は日本で、当たり前のように大学に通い、将来は何をしようかと自由に選べる権利を享受していました。
しかし、地球の裏側では、私と同い年の少年が、学ぶことも遊ぶことも、家族と安全に過ごすことも許されず、命を懸けて戦わざるを得ない。
その決定的な違いは、ただ「生まれた場所が違う」という、自分ではどうしようもない一点に集約されていました。
ーーーそれは、非常に強い違和感だったのでしょうね。
はい、本当にありえない、不条理だと思いました。
「なぜ、努力や意志とは関係なく、生まれた場所だけでこれほどまでに運命が分かれてしまうのか」と。
それまで私は、日本という平和な社会で、自分の将来のことばかりを考えて生きてきました。
でもその日を境に、この不条理を無視して生きることはできない、と強く感じるようになったんです。
その怒りに近い違和感が、私の活動の原動力になりました。
ーーーその後、すぐに活動を始められたのですか。
そうです。
まずは知ることから始めようと、国際的な学生団体であるアイセックでの活動に没頭しました。
そこで国際協力について徹底的に調べ、その一環で、実際にフィンランドへ渡り、現地のイラク難民やアフガン難民の方々への英語教育に携わったんです。
彼らと直接対話し、共に時間を過ごす中で、「難民」という言葉で一括りにされていた人々が、一人ひとりの個性を持つ友人になりました。
英語を教えるという行為を通じて、彼らが平和な生活を取り戻し、新しい人生を築いていく姿を目の当たりにし、心からのやりがいを感じました。
ボランティアや一時的な活動ではなく、生涯をかけて向き合う「仕事」にしようと決意したのは、2017年のことでした。
あえてベンチャー企業へ。社会を変えるための「武器」を磨いた4年間
ーーー2017年に「仕事にしよう」と決意されたのなら、卒業後はすぐにNGOなどを志望されたのですか。
就職活動の際、私はあえて「株式会社エージェント」という民間企業、それも変化の激しいベンチャー企業を選びました。
ーーーなぜ、あえてビジネスの現場を選ばれたのでしょうか。
当時の自分を冷静に分析したとき、社会のために何かをしたいという「想い」は人一倍強かったのですが、それを現実にするための「力」が圧倒的に足りないと感じたからです。
そもそも国際協力の業界は学部卒で選べる仕事の選択肢もかなり限られていて、社会人経験と修士号があってやっとキャリアのスタートラインに立てます。
なので、社会課題を解決するためには、情熱だけでは不十分です。
事業を継続させるための仕組みを作る力、多様なステークホルダーを巻き込む営業力、そして何よりプロフェッショナルとして成果を出す責任感。
これらは、厳しいビジネスの現場で揉まれることでしか得られないのではないか、と考えたんです。
ーーー具体的には、どのような業務を担当されていたのですか。
外国人就労支援事業の担当として配属されました。
当時はまだ社内でも立ち上がったばかりのプロジェクトで、まさに「ゼロから作る」フェーズでした。
新規事業の立ち上げから、企業への営業、求職者一人ひとりの相談に乗るキャリアアドバイザーとしての業務まで、文字通り何でもやりました。
大手企業であれば分業されるような仕事を、ベンチャーという環境を活かして、すべて並行して実施しました。
エージェント時代の仕事の様子
ーーーその4年間で得られたものは大きかったですか。
非常に大きかったです。
特にキャリアアドバイザーとして、数百人の人生の岐路に立ち会った経験は、今の私の基礎になっています。
人の話を引き出し、その人の強みを言語化し、企業とのマッチングを図るスキルは、今の団体での自立支援にもそのまま活かされています。
また、数字というシビアな結果を求められる中で、「どうすればお客様に満足してもらえるのか、社会課題をビジネスで解決できるのか」を考え抜いた経験は、私の視野を大きく広げてくれました。
ーーー順風満帆に見えますが、その過程で葛藤を感じることはありませんでしたか。
もちろんありました。
民間企業は利益を追求する必要があります。
時には「この人を救いたい」という個人の想いと、「ビジネスとして成立させる」という組織の目的が衝突することもありました。
「自分は何のために働いているんだろう」と自問自答したことも少なくありません。
でも、その葛藤があったからこそ、綺麗事だけではない社会のリアリティを知ることができました。
「想い」に「実力」が伴わなければ、誰も幸せにできない。
その厳しさを学べたことが、今の自分を支える「武器」になったと思っています。
イギリス大学院での学び。理論と実践を繋ぎ、難民支援を専門にする決意
ーーー ベンチャー企業で実績も積まれていた中で、なぜイギリスの大学院への進学を決めたのでしょうか。
実は、大学院への進学は学部生時代からずっと考えていたことなんです。
将来は国際開発分野でキャリアを築きたいという目標があり、そのためには「現場での実務経験」と「専門的な学問」の両方を身につける必要があると考えていました。
学部卒業後すぐに大学院進学することも検討していたのですが、当時は新卒でJICAなどへの就職が叶わなかったという背景がありました。
そこで、まずは民間企業で実務経験をしっかりと積み、現場のビジネススキルを身につけた上で、改めて大学院に再挑戦しようと決めていたんです。
ーーー進学先に選ばれたのは、開発学で世界的に有名なサセックス大学ですね。
はい。「移住と開発(Migration and Development)」を専攻しました。
そこでの1年間は、まさに「知の格闘」でした。
世界各国から集まってきた優秀なクラスメートと、「なぜ人は移動するのか」「移住はどのような経済的、政治的、文化的影響を与えるのか」「移住後、移住先のコミュニティで発生する課題」といったテーマで、連日議論を交わしました。
サセックス大学前
ーーー現場での4年間があったからこそ、学問の捉え方も違ったのではないですか。
その通りです。教科書に書いてある理論が、実際に私が営業現場で見てきた課題とどう繋がっているのか。
あるいは、理論では説明できない現場の泥臭さを、どう言語化すべきか。
実務経験があったからこそ、すべての学びが自分の中にスッと落ちてきました。
支援者ではなく「伴走者」として。大切にしている対等な眼差し
ーーー大学院を経て、現在は念願だった難民支援団体のプロジェクトオフィサーとして活動されています。最も大切にしている信念は何ですか。
相手を「かわいそうな難民」として見ないことです。
これは、私がキャリアを通じて最も強く意識していることです。
メディアなどで報じられる際、難民の方々はしばしば「助けを必要とする弱者」として、同情の対象として描かれがちです。
でも、私が出会ってきた彼らは、全く違います。
ーーーどのように違うのでしょうか。
彼らは、生き延びるために国境を越え、見知らぬ日本という地でゼロから生活を築こうとしている、非常にタフで勇敢な人々です。
高度な専門知識を持っていたり、卓越した商才を持っていたりする人も多い。
彼らは「助けてもらうのを待っている人」ではなく、「機会さえあれば、自らの力で羽ばたける人」なんです。
ーーーだからこそ「支援」ではなく「パートナーシップ」なのですね。
はい。私は彼らの上に立って何かを施す「支援者」ではなく、彼らが本来持っている力を発揮するための障害を取り除く「伴走者」でありたい。
彼らと同じ目線に立ち、対等な人間としてリスペクトを持って接すること。
相手の尊厳を傷つけないサポートとは何かを常に問い続けること。
その「対等な眼差し」こそが、難民支援の本質だと信じています。
ーーーそのような価値観は、やはり民間企業でのキャリアコンサルタント経験が活きているのでしょうか。
非常に活きています。ビジネスの世界では、クライアントとの関係は常に対等です。
求職者に対して「仕事を与えてあげる」という傲慢な態度では、決して信頼関係は築けません。
一人のプロフェッショナルとして向き合う姿勢は、今の仕事でも全く変わりません。
社会課題の現場であっても、ビジネスで培った「顧客志向」や「プロフェッショナリズム」は、むしろ不可欠なものだと思っています。
綺麗事だけでは進めない。現場で直面する難しさと、母としてのリアル
ーーー素晴らしい志を持って活動されていますが、現実は決して美しい話ばかりではないと思います。感じる「難しさ」についても教えてください。
一番の難しさは、やはり「正解がないこと」と「成果が見えにくいこと」です。
例えば、日本語教育を提供したとしても、それだけでその人の日本語力が上がり、就職先を簡単に見つけられるわけではありません。社会課題は、一つのボタンを押せば解決するような単純な構造ではなく、何層にも重なった複雑な絡まり合いです。
その中で、私たちは常に「この支援が、本当に相手のためになっているのか」と悩み続けなければなりません。
ーーー精神的な消耗も激しいのではないでしょうか。
正直、無力感に襲われることはあります。
制度の壁に跳ね返されたり、周囲の無理解に直面したり。
残念ながら日本社会に適応できず、帰国や日本以外の第三国へさらに移住することもあります。
また、公益財団法人という組織の特性上、限られたリソースの中で最大限の成果を出さなければならないというプレッシャーもあります。
寄付をしてくださる企業や個人の方々に対してしっかり成果報告をする必要があります。
自分たちの活動の価値をどう証明し、持続させていくかという難しさは、日々痛感しています。
ーーー石井さん個人としては、仕事と育児の両立というハードルもありますよね。
はい。現在は育休中なのですが、時間の使い方は常に課題です。
仕事を通じてできることを増やしていきたい思いと、母親として子どもと向き合いたいという思いの狭間で揺れることもあります。
ただ、幸いなことに今の職場は柔軟な働き方を認めてくれています。
「社会課題を解決する人」自身が、自分たちの生活を犠牲にしすぎないこと。
持続可能な活動のためには、そうした「自分へのケア」も大切だと、身をもって感じています。
カフェでのリラックスタイム
ーーーキャリアを「美談」にせず、そうした泥臭い部分を語っていただけることは、読者にとっても大きな救いになると思います。
ありがとうございます。
社会課題に向き合うことは、特別なヒーローの物語ではありません。
一般的な会社員と同じで、目の前のお客様やステイクホルダーの困っていることを解決するために地道に働いています。
悩んだり、疲れたり、自分の生活に必死になったり。
そんな「普通の感覚」を持った人間が、一歩ずつ進んでいく。
ただ、社会の悪い部分から目を背けず、それを解決するためにひたむきに自分のできることをする。
目の前の現実に絶望しない、諦めない。
それが、社会を少しずつ変えていくリアルな姿なのだと、私は伝えたいです。
「難民」という言葉が必要なくなる未来へ。一歩を踏み出す勇気を
ーーー石井さんが描く、これからの展望について教えてください。
私が最終的に目指しているのは、「難民」というラベルが必要なくなる社会です。
言い換えると、多様な国籍の人がそれぞれの良さを活かして助け合う、協力し合う社会。
今はまだ、逃れてきた方々を「難民」という特別なカテゴリーに入れて、区別したり、特別視したりしなければならない現状があります。
彼らが当たり前のように日本社会に溶け込み、その個性を活かして、自分の人生の主導権を握れるようになることが私のゴールです。
ーーーそのために、今後挑戦したいことはありますか。
しばらくは日本をベースに、難民をはじめとした外国人との共生における課題について取り組み続けたいです。
サセックスで学んだ知識を活かし、難民が発生する根本原因である途上国の格差、貧困問題や、国際的な移住政策の提言などにも関心があります。
現場の声を拾い上げ、それをマクロな政策に繋げていく。
そんな「現場と政策立案者の橋渡しをするような役割を担っていきたいです。
ーーー最後に、社会課題の道を志す学生へメッセージをお願いします。
まず伝えたいのは、「遠回りを恐れないでほしい」ということです。
もしあなたが今、社会課題に関心があるけれど、スキルも自信もないと感じているなら、一度ビジネスの世界に飛び込んでみるのも一つの立派な選択肢です。
そこで培われる営業力、論理的思考力、タフさは、将来必ず社会課題の現場であなたの最大の「武器」になります。
キャリアは、一本の綺麗な線である必要はありません。
私のキャリアについて、学部生時代の目標から一貫していて、無駄がなく全てが今のキャリアに繋がっているように見えますが、お金がなくて大学院進学を延期したり、大学院時代もそのあとの就職もうまくいかないことは多々ありました。
いろんな経験=点を少しずつ繋げていけばなんとかなります。
何より大切にしてほしいのは、あなたが最初に感じた「違和感」や「怒り」、あるいは「ワクワク」という感情です。
それを無視せず、大切に育ててください。そして志を持ち続けてください。
世界は広いです。
そして、あなたの力を発揮できる場所が、必ずどこかにあります。
自分を信じて、まずは小さな一歩を踏み出してみてください。
その一歩が、いつか誰かの絶望を、希望に変える力になると信じています。
皆さんの挑戦を、心から応援しています。

この記事の監修者
吉田宏輝
COCOCOLOREARTH代表、社会活動家。
COCOCOLOREARTHでは、社会課題解決を軸にした就職・転職活動を支援するインタビューメディアの代表として、100人以上の社会活動家にインタビュー、記事執筆やイベント登壇などを行う。
