今回は、香川県・小豆島で地域おこし協力隊として活動し、またセブンシーズトラベラーズとして、アクセシブル・ツーリズムに取り組む篠原智昭さんにインタビューしました。

篠原さんは、神奈川県の教育行政職員としてキャリアをスタート。

その後、娘さんの難病をきっかけに、難病支援に関わる一般社団法人やバイオベンチャーの立ち上げに携わり、現在は小豆島で「誰もが旅を楽しめる環境づくり」に取り組んでいます。

この記事では、娘さんの難病をきっかけに働き方を変え、難病支援、創薬、そして小豆島での観光づくりへと歩んできた篠原さんのこれまでを伺いました。

社会課題の解決に関心がある方や、自分らしいキャリアを模索している方にとって、一歩を踏み出すヒントが見つかるはずです。

 

【プロフィール文】

神奈川県出身。
大学卒業後、神奈川県の教育行政職員をしていたが、娘の難病発症をきっかけに退職、一般社団法人こいのぼりにて日本初の患者家族発難病創薬プロジェクトを立ち上げ、バイオベンチャーであるルカ・サイエンス株式会社設立に至る。
その後、創薬→コーチング→インクルーシブ旅行とフィールドを変え、現在は瀬戸内海の小豆島にて、地域おこし協力隊の業務に携わり、インクルーシブな島の実現を目指して取り組んでいる。

「プレイヤー」として、観光地をインクルーシブに

ーーー 現在の活動内容について教えてください。

現在は、香川県の小豆島を拠点に、二つの軸で活動しています。

一つは、小豆島への移住のきっかけともなった、地域おこし協力隊としての活動です。

現在は小豆島観光協会に所属し、こちらの業務をフルタイムで担っています。

もう一つは、旅行会社であるセブンシーズトラベラーズ株式会社として、車いす旅行に特化した事業に携わることです。

セブンシーズトラベラーズ株式会社の活動は、旅行会社として「車いすで行ける場所を探す」ことが主な仕事でした。

しかし今は、「車いすで旅行できる環境そのものをつくる」仕事へと、自分自身が取り組む役割が変わってきており、これこそが私が実践したかったことの一つだと感じています。

「アクセシブル・ツーリズム」という、障がいの有無に関わらず誰もが観光を楽しめる形を、小豆島で具体化していけたらと思っています。

コンサルタントのように外から助言するのではなく、自分でプレイヤーとして動ける今の環境に、大きなやりがいを感じています。

ーーー 「アクセシブル・ツーリズム」に取り組む中で、どのような手応えを感じていますか。

私自身、娘と車いすで旅行に出かけた際、旅の楽しさを感じる一方で、事前の手配や準備が驚くほど大変であることを痛感しました。

日本人の私でさえこれほど大変なのだから、言葉の壁がある海外の方にとっては、さらにハードルが高いのではないか、そして日本旅行を諦めてしまう方もいるのではないかと感じました。

少しでもお手伝いをしながら自分の仕事にもなればという思いが、この事業を立ち上げる大きな動機になりました。

現在はありがたいことに、多くの案件や相談をいただいています。

ーーー 活動を通じて解決したい「社会課題」について詳しく教えてください。

私が向き合っている大きなテーマは、「難病」と「インクルーシブ」の二つです。

私にとってインクルーシブとは、年齢や国籍、障がいの有無に関わらず、誰もが同じ社会の一員として過ごすことができる状態のことです。

現在は、旅行というレジャーの場面から、誰もが当たり前に同じ場を楽しめる社会の仕組みをつくることに取り組んでいます。

娘の難病をきっかけに見えた「自分にしかできない人生」

ーーー 社会課題を「自分ごと」として捉えるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

32歳のときに娘が生まれたことが、私の人生を大きく変えるきっかけになりました。

娘は生まれて間もなく、「ミトコンドリア病」という難病と診断されました。

ミトコンドリア病は、細胞内でエネルギーをつくる働きに異常が生じ、全身にさまざまな症状が現れる希少疾患です。

当時は手足を動かすこともできず、生後6か月から8か月頃までは、何度も命の危機に直面しました。

多くの医療支援や人とのつながりに助けられ、なんとか命をつなぐことができました。

この経験が、私にとって社会課題を自分ごととして考える大きなきっかけになりました。

ーーー 娘さんの病気と向き合う中で、どのようなことを感じ、行動に移していったのでしょうか。

まずは治療法を必死に探し求めました。その中で、「世の中には、まだ有効な治療法が確立されていない病気が数多くある」という現実を知りました。

適切な診断がつかないまま亡くなっていく方がたくさんいる、そうした現実を知り、理不尽さを感じていました。

ーーー その後、どのように活動を広げていかれたのでしょうか。

娘が一命をとりとめた後も、当時私は、「病気を治すために、研究や創薬をどう前に進められるのか」という、具体的なアクションをずっと探していました。

そんな中、2012年頃に出会ったのが、一般社団法人こいのぼりでした。

この団体は、難病、特にミトコンドリア病に関する活動を行っていたため、私たち家族にとって奇跡のような出会いでした。

この出会いが、後に私が公務員の職を辞め、難病支援の道へ進む大きな後押しとなりました。

「自由」な公務員から、創薬に挑むバイオベンチャーへ

ーーー 長年勤められた公務員を辞める際、不安や迷いはありませんでしたか。

2003年に大学を卒業して、神奈川県の教育行政職員という道を選びました。

公務員というと、決められた仕事を淡々とこなすイメージがあるかもしれません。

しかし、私にとっては非常にクリエイティブで、自由度の高い仕事でした。

自分のアイディアで新しい取り組みに挑戦できる環境にやりがいを感じていました。

それでも辞める決断をしたのは、娘の病気と向き合う中で、これが「自分にしかできない人生」だと感じたからです。

この道を自分の人生として引き受けたいという思いが強くなり、2017年に公務員を退職し、先ほどお話しした一般社団法人こいのぼりの専従理事になりました。

私自身は安定を手放すことに対する不安はなかったですし、加えて妻や両親も「あなたらしいね」と送り出してくれたことは嬉しかったです。

ーーー一般社団法人の専従理事を経て、バイオベンチャー「ルカ・サイエンス株式会社」が設立された経緯を教えてください。

専従理事として活動する中で、こいのぼりの関心は、薬を「探す」ことから、薬を「創る」ことへと移っていきました。

そして2019年、一般社団法人こいのぼりからスピンオフする形で、ルカ・サイエンス株式会社の設立に至りました。

私はCOOとして多岐にわたる仕事を担っていましたが、シリーズA1からBまでの資金調達に関われたことや、創薬の事業化に向けた体制づくりに関われたことは、大きな経験となりました。

「自由でいる」ことが教えてくれた、自分の進むべき場所

ーーー ベンチャーを離れた後のキャリアについて教えてください。

退任後の仕事としてソーシャルビジネスを模索していましたが、転職エージェントから「コーチに向いている」と勧められ、株式会社コーチ・エィに入社しました。

ちょうどその頃、「今日の仕事は、楽しみですか。」という広告が議論を呼んでいました。

「働く」ということに前向きになれない人が多いという世の中の現実について考えていた時期でした。

そこから、自分らしい生き方や働き方を支援したいと考えるようになり、コーチとして多くの方々との対話に寄り添ってきました。

ーーー なぜ、コーチとしてのキャリアから「移住」へと舵を切ったのでしょうか。

コーチングの仕事自体には、大きなやりがいを感じていましたが、コーチングの相手の方に対して私がずっと問い続けてきた「あなたは今、自由でいるか」という問いに、自分自身も向き合っていた時期でもありました。

以前から希望していた移住、地域に関わって活動したいという思い、そして自分の実体験に基づくアクセシブル・ツーリズムとして「車いすで旅行できる環境をつくる」という情熱。

そのすべてが重なり、小豆島へ移住する決断をしました。

「できない」と決めつけず、ワクワクする方へ進む

ーーー これまでのキャリアを振り返り、どのような価値観を大切にされてきましたか。

私は、あらかじめ数年後のキャリアのゴールを定めて逆算するタイプではありません。

その時々で「やってみたい」と思ったことに、素直に向き合ってきました。

仕事とプライベートの境界線も、あえてはっきり引いていません。

旅行を楽しむように、課題に向き合う過程そのものを楽しむようにしています。

自分が楽しくなければ、誰かの幸せにつながる仕事はできないと思っています。

ーーー 「いつかやりたいことは、そのうち叶う」という考えをお持ちだと伺いました。

実は私、子どもの頃は運動が本当に苦手な子だったんです。

小学校のマラソン大会では、いつも最後尾でした。

でもそんな私が、35歳でフルマラソンを完走し、その後トライアスロンにも挑戦しています。

この経験から、「自分には無理だ」と決めつけず、やりたいことを口に出し続けていれば、いつかできる日がくるかもしれない、と、明日の自分を信じられるようになりました。

いまは、できないことがあってもいい。

ただ、「いつか叶う」と信じて、周りの力を借りながら一歩を踏み出すことが、自分自身にとっての道なのだと思います。

ーーー 最後に社会課題の道を志す学生へメッセージをお願いします。

社会課題の解決というと、どこか自分を犠牲にするような、重たいイメージがあるかもしれません。

でも、そんなに肩肘を張る必要はないと思います。

まずは、自分が社会の何に違和感を持ち、何にワクワクするのか。その小さな心の動きを大切にしてみていただけたら嬉しいです。

私自身も、娘の病気と向き合う中で、自分にしかできないことを考えるようになりました。

やりたいことがあれば、ぜひ口に出してみてください。

みなさんが楽しそうに動いていれば、きっと周りに応援してくれる人が現れるはずです。

一度きりの人生、誰かが用意したレールの上ではなく、あなた自身がワクワクする方へ、軽やかに進んでいくことを心から応援しています。

「今日の仕事は、楽しみですか?」

社会課題に関わるキャリアを考えたい方へ

社会課題×キャリアの教科書

COCOCOLOR EARTH 編集長・吉田宏輝 著

想いを仕事に変えるための考え方を、自己理解・企業選び・キャリア設計まで1冊にまとめました。

Kindleで読む →